浄土真宗本願寺派 興徳山乗善寺

ちょっといい話

法話

モノの見方

No.702

待ちわびた春の季節を迎えました。北海道は厳しい冬を毎年乗り越えていかなければなりません。今年、お寺のある札幌は例年以上の雪になり、大変な思いをされた方も大勢いることでしょう。冬は雪かき・車の運転・歩くことにも気を遣い、いつも以上に気を付けなければなりません。私の印象では、私もそうですが、冬には良いことがあまりなく思っている方が多いのではないでしょうか。しかしながら、よくよく考えてみますと、雪が降ることによって喜ぶ方もいるということを思うのです。

私たちは、自分に都合の良いことに喜び、都合の悪いことには文句ばかり言っているように感じます。良いこと、悪いことは、人それぞれに違っています。各々のモノの見方が違っているのです。

私がよく思うのは、戦争のことを考えた時、国同士の争いに善悪をつける難しさがあるということです。A国側目線で戦争を見た時にはB国が悪になり、また、立ち位置が変わればその反対の感情も出てくることでしょう。やはり私たちは、自分の都合によってモノの見方が変わっていくのです。

自分にとっては良い人でも、他の人から見れば悪い人。このこともやはりその反対もあり、人によって様々な見方があるのです。

仏法は、そのような見方を何故してしまうのかを教えてくれます。自分、各々の都合でモノを見てしまう私たちは、なんと欲深い者であったのかということに気付かせてくださります。その気付きの中で私たち は自己を見つめ直すことが必要になってくるのでしょう。自己を見つめ直せた時、どれだけの人を傷つけ、ののしり、否定してきたかということに気付くことが出来るのだと思います。大した自分ではなかったと思えた時には、人のことを受け入れることが容易になるように思います。つまり、他を認めていくということであり、認めるその中に良いご縁や、充実した人生があるのです。

私たち浄土真宗のご本尊であります阿弥陀仏は、まさしくすべての人を認め、平等に救いをくださる存在であります。阿弥陀仏の私たちを見守ってくださることのみ教えを私たちが聞かせていただいた時には、少しでも、阿弥陀仏のお心を見習っていくことが大切なことでしょう。

本願寺からの、私たちの心がけとしてのお言葉である「私たちの誓い」の中の一文に、

『一、むさぼり、いかり、愚かさに流されず、しなやかな心と振る舞いを心がけます。
心安らかな仏さまのように』

とあります。まさしく、自身を見つめ直し、人を認めていくという心を育むための誓いのお言葉でありましょう。

モノの見方、人それぞれに様々な見方がありますが、各々が人のモノの見方についても考え感じていくことが大切なことであるのでしょう。

阿弥陀仏のお心を通して、「南無阿弥陀仏」(ありがとうございます)と、感謝の気持ちを持って、モノの見方を改めていきましょう。


二〇二六(令和八)年四月