浄土真宗本願寺派 興徳山乗善寺

ちょっといい話

法話

こんな時代だからこそ

No.653

お寺と言えば仏像や納骨堂があって、ご法事やご葬儀を行う儀式の場と思われている人も多いと思います。それも間違いではありませんが、本来お寺とはみんなが集って仏法を学び、語り合い、そして暮らしに活力を与えてくれる場所です。

特に私たちの浄土真宗のお寺は、法要に参拝するという厳粛さもありますが、困ったことや悩み事があるときに気軽に相談できるところであって、交流の場としてみんながホッとできる場なのでいつでも寄っていただけると幸いです。

とは言っても今はコロナの感染拡大で法要行事やいろいろな催事もこの二年間は殆ど開座、開催もできず、勤めても時間を短縮せざるを得ない状況です。まだまだ油断はできないので、どこへ行くのもためらってしまう方も多いでしょうが、早く落ち着いて今までの生活に戻り、お寺の法要も再開できるようになったらお参りをいただけたらと思っております。それにしても私たちがいのちを守るために外出を控えることでこんなにも多くの人のいのちに影響を与えてしまうなんて考えてもいませんでした。

コロナによって貧困、格差、孤立、差別など以前から抱えていた問題が浮き彫りになり深刻化しています。 政治による経済支援はもちろん大切ですが、社会の仕組みも考えていかなければいけませんし、私たちの考え方も問われているのだと思います。しかしながら日本は、いや世界全体が今後もますます経済優先の社会へと進んでいくような感じがしており、本当にこのままでいいのか考えてしまいます。

ああなれば幸せ、こうなれば幸せ、この状況を変えれば幸せ、もっと楽が出来れば幸せ、心配事がなくなれば幸せ、そんな自己中心的な心から起こる妄想に一喜一憂して、もっともっとと欲望を満たすことばかりに気を取られ、迷いの世界で苦しんでいるのが私たちです。

今であれば、誰もが早くコロナが終息して前のようになればいいなあと思っていますが、そんな都合のいいようにいかないのが世の中だとお釈迦さまは2500年前にはっきりとおっしゃられています。

仏教は、自分の思い通りに生きることが幸せだという妄想から目覚める教えであります。お釈迦さまは「人生は苦なり」と説かれ、人生は何一つ思う通りにいかないというのが仏教の出発点であります。

よくよく考えてみれば、これまでいつの時代も飢饉や災害、疫病、戦争など、人類の歴史の中で混迷のない時代はなかったのではないでしょうか。言い換えれば、その混迷の時代の人々の苦悩とともに仏教が伝えられてきたといってもいいでしょう。世の中は常に移り変わり、あらゆるものは変化し続ける中で、思い通りにはならない現実はこれからの人生でも必ず起こってきます。そのような人生を歩む中で大切なことは、現実とどう向き合い、そこから何を学び、どう生きるかということではないでしょうか。傷があるゆえに薬が効いていくように、苦悩があるから仏教がいのちの支えとなるのだと思います。

今、インターネットのユーチューブやティックトック(動画投稿サイト)などでお坊さんのショートムービーがバズっている(注目され話題になっていること)といいます。それはコロナによっていまだ先行きの見えない状況が続き、誰もが不安感や閉塞感を抱えたこんな時代だからこそ仏教が心に響いてくるのだと思います。

毎月のお参りでは皆さんとお話できる事が本当に有難いですし、共に阿弥陀さまのお徳を讃えさせていただくお仲間として時間を共有させていただけるという事はこの上ない喜びです。今後必ずまた皆さんがお寺に集まって語り合えるときが来ると思いますのでお身体には十分に気を付けて、お互いを思いやり、いのちを大切に過ごしてまいりましょう。

令和四年 三月