浄土真宗本願寺派 興徳山乗善寺

ちょっといい話

法話

共生(ともいき)

No.610

ここ数年来、さまざまな自然災害が地球規模で起こり、日本国内でも大きな被害に見舞われています。

今年も各地での地震、火山の噴火、そして西日本豪雨に続く記録的な猛暑と、まさに生命の危険にかかわる事態となりました。多くの方の尊い生命が奪われ、生活の基盤を奪われ、いまだ平穏な日常生活に戻ることのできない方々が大勢いらっしゃいます。皆さんの中にもお知り合いや、ご親族、身近な方が被害のあった地域に暮らしている方もいらっしゃるのではないでしょうか。心よりお見舞い申し上げます。

度重なる災害の度に行政、各種団体のボランティアなど大勢の皆様が救援活動に携わって支援を続けています。直接現地に駆けつけることができなくてもいろいろな形で支援に参加することができると思います。
この支援の輪がさらに大きく広がって、被災された皆様の一日でも早い復興を願わずにはいられません。

永い地球の歴史の中でも様々な要因により多くの生命が奪われ、絶滅してしまった種は少なくありません。そのような環境の中でも現在まで生存し続けている種もたくさん存在しています。絶滅と存在を分けたのは何だったのでしょうか。「生きた化石」ということを聞いたことはありませんか?

これは進化論で有名なダーウィンが『種の起源』の中で用いた表現です。代表的なものにシーラカンスという魚があげられます。四億年前頃に活動していて、恐竜が絶滅した頃に一緒に絶滅したと思われていましたが、一九三八年に南アフリカで生きた個体が捕獲されました。その姿は化石などで確認された姿からほとんど進化していませんでした。その他にもハイギョ、カモノハシ、カブトガニなども太古から姿を変えずに生きてきた生き物です。彼らは変化した環境に対してもその姿を変えることなく生き残ることができました。言い換えれば彼らはその環境において変化しなくても生きていくことのできる存在であったのでしょう。ここに現在まで存在している要因の一つ、つまり生物に備わった環境を克服する対応力ともいうべき能力を見ることができます。

私たち人類も現在存在している生物ですが、私たちの絶滅と存在を分けたものは何であったのでしょうか。

地球の歴史の中でここ七百万年の間に生まれた人類と呼ばれるものはネアンデルタール人をはじめ二十五種以上といわれています。しかしその中で生き残ったのは私たちにつながるホモ・サピエンスだけでした。朝日新聞に東京大学の更科 功 先生の『絶滅の人類史』の中から「考えてみると、私一人で最初から作れる物など身の回りに一つもないのだ。」という抜粋とコラムが載っていました。

その中で大切なのは、みなで「力をあわせられる」ことこそが、いま存在することができている要因であるということです。 育児を助け合うことによってたくさんの子孫を残し、言葉を用い、生活の糧を分かち合い、ものを製作するという相互協力を発展させることが私たちを絶滅から救ったのです。

自然の脅威や人為的な破壊行為、様々な困難に見舞われてきた私たちは「力をあわせる」ことで生き延びてきたともいえます。振り返ってみて最近の私たちは「力をあわせる」ことを軽んじてはいないでしょうか。家庭や地域社会、学校や勤務先、個の尊重を重視するあまり、協力すること、共に何かを成し遂げることの大切さを見失っているような気がします。様々な環境にある人が出会い、ひと時を共に集い、過ごす、そんなことが日常の中で普通に出来ることが大切であり「力をあわせる」事の土台になるのです。

「共生」という言葉がありますが、「とも生き」とも呼ばれることがあります。私たちは生かし合う人間であり、自然・動植物・多くの生命あるものと共に生きていることを意味する呼び方です。
今出来る些細なことでも力をあわせ、助け合いの経験を積み重ねることが大切なのではないでしょうか。