浄土真宗本願寺派 興徳山乗善寺

ちょっといい話

法話

モラルと現実

No.677

厳しい冬を乗り越え、やっと初春を迎えることが出来る季節が近づいてきました。

北海道の冬は、都合の悪いことばかりだと思う方がほとんどでしょう。雪かきの心配や交通渋滞、それに転倒などの危険な季節であるからでしょう。

しかし、冬が無いと困ることもたくさんあることを忘れがちの様な気もします。北海道の水に困らないことは雪が蓄えたものであったり、山でのスキーなどの娯楽も冬の季節があるからこそ成り立つものであります。私たちは自分の都合で物事を考える傾向があります。このことはどう考えていけば良いのか。私たちがどう捉えていけば良いのか・・・。

「モラル」という言葉があります。「モラル」とは、人々が共生するための基本的な価値観を形成し、社会の秩序を保つ役割を果たすものとされています。人の幸せを喜んだり、悪口を言わなかったり、人を憎んだりねたんだりせずのように幼い頃から教えられている道徳上の行いの事柄を守ることであります。一般的に「モラル」の低い人は人から軽蔑され、「モラル」の高い人は人から尊敬される様に思います。しかし、私たちはどうしても「モラル」を守った生活が出来ていないことの現実があることに気付いていかなければならないでしょう。

悪口を言ったり、人を憎んだり、時には人の幸せをねたんだり・・・、そんなことがたくさんあるものです。必ずと言っていいほどそういった想いがあるのではないでしょうか?私たちは稀に心の中で人を殺すという想いを持つこともあるかもしれません。現実の事柄であっても、縁が続いた場合には殺人を犯すこともあるのが私たちであると仏法では教えられます。

浄土真宗の教えに「二種深信」という信心があります。「機の深信」、「法の深信」の二種があり「機の深信」とは、自身は罪悪を持った人であり迷いの世の中に生きていることに気付き信じること、「法の深信」とは、阿弥陀仏の本願力(必ず救うぞ)の救いを信じることを言います。「機の深信」が教えてくださる様に、本当の意味で「モラル」を守ることは出来ないということ。そういうことは、自身が愚かな者であることを思うことに繋がります。「法の深信」にしか頼れない自身であるということです。

残酷な想いを持ち、「モラル」を本当の意味で守れていない私たち。だからこそ、阿弥陀仏の救いの中で現実の自身に気付き、反省した時にこそ「モラル」を守れる自身に近づいていけるのではないでしょうか。

救いの中に、「モラル」という道徳上の行いをさせていただきましょう。

二〇二四(令和六年)三月