浄土真宗本願寺派 興徳山乗善寺

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かかりつけ

No.624

我が国では医学や科学の進歩によって健康で長生きできるようになり、本当にありがたい時代になりました。私自身、数ヶ月前の深夜、急に胸が絞めつけられ、背中から肩にかけての痛みがひどく、呼吸も苦しくなって救急車のお世話になりました。救急隊が到着したころには治まっていたのですが、念のため循環器専門の救急病院でエコーやCTの検査をしていただき、痙攣性の狭心症だろうということでとりあえずは大丈夫との事でした。

私たちは気持ちはいつまでも変わらず若いつもりでいますが、やはり身体は年齢とともに衰えていくもので、元気な時はいつ死んでもいいなんて自分勝手なことを言っていますが、いざ具合が悪くなると病院のお世話になり、少しでも長生きしたいと思うものです。

今、医療現場ではモンスターペイシャントといって、患者やその家族が医師や病院に対してクレームをつける人が増え、問題となっています。その要因の一つとしては私たちが医療に対して過剰な期待をしてしまっていることだそうです。私たちは病院に行けば必ず病気がよくなると思っていますが、本来病気は医者が治すのではなく、あくまでも自己の治癒力だそうです。ですから、今は予防医学の分野が重要視されています。

昔から病院とお寺は「かかりつけ」を作っておくことが大切と言われます。病院の先生には普段から身体全体のことを、お坊さんには仏教のことはもちろん、どんな些細なことでも話せる関係を作っておくことが大切ということです。ご命日にお伺いさせていただいたときはお勤めが終わりましたらいろいろなお話を聞かせていただけたらと思っています。そして、今度お寺に行ってみようかなあと思っていただけたらとてもうれしく思います。

お寺というのは、もともとは「心身の安らぎの場」であります。飛鳥時代、日本に仏教を取り入れた聖徳太子は四天王寺を建てられるにあたって「四箇院の制」をとられました。四箇院とは、「敬田院」「施薬院」「療病院」「非田院」のことをさし、敬田院は寺院で、施薬院は薬局、療病院は病院、非田院は介護施設ということで、仏教と医療や介護は密接な関わりをもっていたのです。

西本願寺でもビハーラ活動といって、仏教と医療や介護の分野がそれぞれに連携しようという活動が行われています。私たちの人生は楽しいことばかりではなく思いがけない病気になったり、思いもよらない突然の悲しい出来事に出遇ったりもします。「こんなはずじゃなかった」「なんでこんな目にあわなければいけないのか」「ああしておけばよかった」といつまでも現実を受け入れることができないこともあるのが私たちの人生です。そんな私を阿弥陀さまは、「どんなことがあっても大丈夫だよ。あなたを決して見捨てはしない」と喚び続けてくださっています。

「なもあみだぶつ」のお念仏に遇うということは、お浄土に生まれ仏とならせていただく人生を歩むことなのです。

私たち浄土真宗の門徒の行き着く先はお浄土です。それもただ単に自分の幸せのために行くのではありません。お浄土に生まれて仏となり、あらゆる人を済度(救うこと)させていただくのです。

私たちのご先祖さまは阿弥陀さまのみ教えを大切にされ、菩提寺(かかりつけのお寺)を大切にされてこられたからこそ私たちは今こうして仏法のご縁に遇うことができているのです。

私たちはこれからも生老病死の様々な苦しみや悲しみの中にある私だからこそ救わずにはおれないという阿弥陀さまのお心を聞かせていただき、ほんのすこしでも自分や相手の傷み悲しみを受け入れ、お互いのいのちを尊ぶ生き方をめざしていくことが大切であります。

令和元年 十一月