浄土真宗本願寺派 興徳山乗善寺

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めでたきこと

No.594

5月に入り、道内各地で桜が見頃を迎え、お花見を楽しまれる方も多いのではないでしょうか。毎年テレビで見るのですが、静内の二十間道路はほんとうに見事ですね。日本一の桜並木ともいわれるだけあって、全国各地から二十万人もの花見客が訪れるそうです。やわらかなピンク色に染まる桜並木は私たちの心を和ませ、温かな気持ちにさせてくれます。そんな桜の時期になると親鸞聖人が得度されたときに詠まれた歌を思い出します。
 『明日ありと 思う心の あだ桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは』
聖人は幼くして両親と別れられ、9歳の春、伯父の日野範綱に付き添われて青蓮院の慈鎮和尚のもとを訪れ、得度式(僧侶になる式)を申し出られました。その時すでに夜が更けていたので、慈鎮和尚は「今日はもう時間が遅いから得度式は明日にしよう」と断るのですが、幼き聖人は「この世は無常であり、今咲いている桜も夜中の嵐で散ってしまうかもしれません。同じように、私のいのちもいつ終わるかわかりません。どうか今日得度式を行ってください」と歌で答えられました。その聖人の決意に心打たれた慈鎮和尚はすぐに得度の手配をされたということです。

私たちは明日があると思い、自分の思いを当てにしてこの先の自分の人生設計ばかりを考えています。しかしそれが思うようになるとは限りません。仕事が定年になって時間ができたらお寺に参ろうと思っていたが、病院通い、孫の世話、三度の食事の支度、年のせいか動作も鈍くなってきて、年をとったら楽ができるかと思ったらなんだか忙しくてというのもよくある話です。蓮如上人は「仏法はいそがしい世間の仕事をさしおいて聞かねばならぬ。それなのにあなたはひまができたら聞こうと思ってはいないか。それはあさはかなことである。仏法のうえからいえば、老少不定の身であるから明日があるとは思ってはならない」とおっしゃっています。みなさまには家族そろってお寺のご法座にお参りし、仏さまのお話を聞いて頂きたいといつも思っています。そして、まずは日常の生活において家族みんなでお仏壇にお参りすることが大切です。小さなお子さまが面白がってリンを何回も鳴らすのでどうしたらいいのですかという方がいますが、そんなありがたいことはないのですから好きなだけやらせてあげてくださいとお答えしています。

お参りのときにお子さんがうるさいから2階に行っててという方もいますが、これもご縁ですから一緒にナマナマしようね、と言ってあげてください。昔はお参りしなかったらご飯をもらえなかったとよく聞きます。それだけお仏壇にお参りすることが人生において大事だからです。そうやって小さな頃からお仏壇のある生活をすることによって知らず知らずのうちに仏法が身に染み込み、阿弥陀さまのお慈悲に気づかせていただけるようになるのです。今、縁が熟してお念仏申す私たちは、まだご縁のない方に対してお念仏申す人になってもらいたいという思いを持って接していくことが大切です。また、最近は遺言だったからと家族葬を行う方が増えてきました。「迷惑をかけたくない」という思いなのかもしれませんが、私たちは人間として生まれ、多くの方のお世話をいただいて生きているのですからご葬儀を通して人と人とのつながりを大切にしたいものです。ご葬儀は残ったものが亡き方を偲び、お念仏のみ教えに遇わせていただく大切な場なのです。

親鸞聖人はお弟子の明法房が亡くなったという知らせを受け、「明法房の往生のこと、うれしく候ふ、めでたきことにて候へ」、とご返事を書いておられます。念仏者にとっての死は終わりではなく、お浄土に生まれ、仏さまとならせていただく「往生」なのですから近しい方との別れはつらく悲しいものですが、「めでたきこと」と味わい、これからも阿弥陀さまのお慈悲の中で「なもあみだぶつ」とお念仏を申し、満開の桜のように力いっぱい今を歩み続けてまいりましょう。