浄土真宗本願寺派 興徳山乗善寺

ちょっといい話

法話

金子みすゞ

No.661

昨年から今年、来年にかけて幾つか周年を迎える出来事があります。昨年令和三年は聖徳太子御遠忌一千四百年の年でした。それを記念して今年、北海道立近代美術館において「国宝 法隆寺展」が開催され、歴史や美術の教科書にも載っている半跏思惟像が北海道初公開になったことでも話題になりましたので関心を持たれた方もいらしたことと思います。

浄土真宗でも来年令和五年には親鸞聖人の生誕八百五十年を迎えます。

ご本山では記念の法要が営まれますし、時期を同じくして京都国立博物館では、「親鸞 生涯と名宝展」が開催される予定です。日本の鉄道事業も百五十年前に新橋―横浜で初めて運行され、私達のごく身近なところでは、白石小学校も今年で百五十年を迎え、記念の式典が催される予定です。

童謡詩人の金子みすゞも令和五年に生誕百二十年を迎えます。それを記念して北海道立文学館で特別展・「金子みすゞの世界」が開かれました。彼女の作品は長い間、世に出ることはありませんでしたが、平成に入って小学校の教科書に採用されてから親しまれるようになりました。さらに平成二十三年の東日本大震災後、テレビで連日放映された「こだまでしょうか」という次のような詩。

『「遊ぼう」っていうと「遊ぼう」っていう。「馬鹿」っていうと「馬鹿」っていう。「もう遊ばない」っていうと「もう遊ばない」っていう。そして、あとでさみしくなって「ごめんね」っていうと「ごめんね」っていう。こだまでしょうか、いいえ、誰でも』 は多くの人に聞き覚えがあるのではないでしょうか。

金子みすゞは一九〇三年(明治三十六年)に山口県仙崎に生まれ、幼少期を過ごした当時の仙崎は捕鯨の盛んな土地で、彼女が幼少の頃にも盛んに営まれていました。向岸寺には捕獲した鯨の過去帳が残っていて鯨のための法要が営まれ、また西圓寺は最も古い日曜学校である小児念仏会を始めたことで知られていて金子家でも親鸞聖人の「歎異抄」の講読会や法話を聞く会などが催されていました。彼女の作品にはこれらの鯨の法要などを通して培われた命を慈しむ想いや幼い頃に身近にあった仏教の教えが大きく影響していることは残された五百十二編の作品に「仏様」、「仏壇」、「お墓」を題材にしたものが数多くみられることからもよくわかります。題名を『報恩講』『お仏壇』としているもののほかにも

『星とたんぽぽ』
 ー 「見えぬけれどもあるんだよ 見えぬものでもあるんだよ」

『私と小鳥と鈴と』
 ー 「鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい」

『大漁』
 ー 「浜は祭りのようだけど 
  海のなかでは 何万の 鰮のとむらい するだろう」

『土』
 ー 「要らない土か いえいえそれは 名のない草の お宿をするよ」

などの作品の根底に眼には見えないけれども確実に感じることのできる存在に対するあこがれや、他と比べるのではなく、そのもの自体の存在価値、自他の価値観の相違を認識することの大切さなど、仏教が説いている思いを深く受け取っていることが窺われます。

実際に目の前に在る物が重要視される合理主義が行き詰まり、精神性を重んじることが再び顧みられるようになってきつつある今、自分と立場を異にする人たちやものの見方の異なる人たちとのかかわり方を今一度仏教の教えによって顧みることが大切なのではないでしょうか。

昭和五年に二十六歳で生涯を終えた彼女のお墓は、浄土真宗本願寺派遍照寺にあります。


令和四年十一月