浄土真宗本願寺派 興徳山乗善寺

ちょっといい話

法話

三毒の煩悩

No.613

今年も押し詰まり残すところ、もう一ヶ月にも満たなくなってしまいました。昨年の暮れには早めの雪が降り、春になってもいつまでも暖かくならない日が続いていました。夏の異常とも思えるような暑さの日々が終わったと思ったら、大雨、台風、そして記憶に新しく、いまだ復興も思い通りにならない地震に見舞われるという、かつて体験したことのないような大変な一年でした。大勢の方々が今まで過ごしていた平穏な生活を奪われ、思いもよらない道を歩むことを余儀なくされました。私たちは毎日を心穏やかに過ごしたいと願っています。普段、何事もなく平穏な生活を送っている時はその願いもかなえられているように思われることでしょう。しかし今年経験したような事態に出会ったとき、それほどではないにしても自分の思い通りにならないことに出会ったとき、穏やかではいられなくなってしまいます。

仏教の教えでは私たちが穏やかでいられなくなるのは煩悩によると説かれています。年の暮れになると日本全国の寺社仏閣で除夜の鐘が響きます。除夜とは除日(一年の最後の日)の夜のことで大晦日の夜のことです。一年の最後の日に百八の煩悩を百八回鐘を突くごとに消していくといわれています。この時突かれる回数は一般的に百八回といわれていますが、この回数については諸説があるようです。

有力なのは古代インドでは「百八」には「たくさん」の意味があったことによるものと思われます。人間の煩悩には限りがないようですが、仏教では心と身体を損なわせるものと説き、貪欲、瞋恚、愚痴の三つをその代表としています。貪欲とはいろんなものを欲しがる心のことです。私たちはたくさんのものに囲まれて生活しています。昔に比べて便利なものが増え、今も新しいものが次々と生み出されています。おいしいものを食べればもっとおいしいものが食べたくなります。珍しいものがあればそれを手に入れて人に自慢したくなります。今は個人がたくさんの情報を発信できる時代ですので、インスタグラムに写真などを投稿したときの「インスタ映え」の競争が激しくなってきています。衣食住全てに於いて「もっともっと」、「まだまだ」と追い求めることが止まりません。求める対象がものである内はまだよいのかもしれませんが、人に対する要求もエスカレートしてしまいがちです。妻に対しても、夫に対しても、子供に対しても、家族にも、友人にも、周りの人々に対して自分の思いを満たすことを求めてはいないでしょうか。いくら求めても沢山の物を得ても満足することがなく、常に何かを欲しがるのが私たちの姿です。近頃特に大きな問題となっていることに、子供の教育に関することが取り上げられています。不登校やいじめなどに関わる原因の一つに、子供に対する過大な期待や要求があるといわれています。今の私たちはものに対しても人に対しても貪欲になっているのではないでしょうか。

二つ目の瞋恚とは怒り、腹立ち、憎しみのことです。 人は自分の思い通りにならない時など、ものに対して、人に対して、さらに自分に対しても瞋恚の感情を抱きます。私たちの日常生活を振り返ってみると、思い通りにならない事がたくさんあるでしょう。

自分の思い通りに進まない時、その原因を他人や他のことに求めようとしがちです。怒りの矛先を他に向けて自らの感情を抑えることで平安を保とうとします。
最後の愚痴とは正しいことを知らないということです。今起こっている問題の本質に考えが及ばず、解決のための道を誤って考えてしまうことです。愚痴というと普通に日常生活でも使われる言葉ですが、仏教で説かれる内容とは意味合いが異なるので注意が必要です。一般的に使われる「愚痴」は単なる不平不満の羅列であり、一方的に発信し、発散することで満足する場合がほとんどです。対して仏教に説かれる「愚痴」は貪欲や瞋恚と深くかかわり、それらの相互関係について考えが及ばないことを意味しているのです。私たちの欲には際限がありません。衣食住すべてにおいて、ものだけではなく人に対しても望みがかなわなければ怒り、腹立ち、憎しみさえも覚えてしまいます。私たちが自らの境遇を思うとき、様々な基準があると思いますが、陥りやすいのは他人と比べることです。

先日の新聞に『人生、七味とうがらし』というコラムがありました。「うらみ、つらみ、ねたみ、そねみ、いやみ、ひがみ、やっかみ。人を翻弄するこれら七つの性はいずれも自他の比較に由来する。他人と較べる中でしか自己を見ることのできない人の宿痾であり業である」。三毒に代表される煩悩は、自分の人生の基準を他人と比較することによるところが大きいのです。私たちは自らの人生の基準を他人との比較による満足ではなく、本当に自分が求めるもの、自分に必要なものを正しく見極めなさいという仏教の教えによって充実した人生を目指すことが大切なのではないでしょうか。