九月一日が何の日かご存じですか?一九二三(大正12)年九月一日に起こったのが「関東大震災」です。
また、台風や大雨なども多い時期と言うこともあり、様々な災害に備えようと一九六〇(昭和35)年 に制定されたのが「防災の日」です。
その名の通り、あらゆる災害に備えて出来るかぎりの準備をしましょうという日ですが、具体的にはどのようなことが出来るでしょうか? 非常食、防災グッズの確認、地域の避難場所や避難経路の確認、家族で災害時の集合場所や連絡方法を相談しておくことも必要なことです。
また、地域の団体や学校、会社などであれば避難訓練や消火訓練、防災センターなどでは地震体験などもできます。電気や通信、道路などライフラインが途絶えたときには復旧までにおおよそ三日間かかると言われているので、最低でも三日分の非常食や水を備蓄しておくことが必要となります。その他にはお薬や消毒液などの医薬品、防寒やケガを予防するために軍手やスリッパなどの衣類、懐中電灯やラジオなどの携帯品、タオルやティッシュ、ビニール袋などの生活用品、もちろん現金や預金通帳、印鑑、保険証などの貴重品も大切です。現代では携帯電話やスマートフォンも大事な防災グッズと言えるでしょう。
記憶に新しいのは、昨年九月六日に発生した「北海道胆振東部地震」でしょう。北海道全域でブラックアウト(停電)してしまい、電気があるのが当たり前の生活の中で全てがストップしてしまうことは大きな混乱と不安を招きました。この地震で多くの方が犠牲になり、未だ避難されておられる方もいらっしゃいます。
江戸時代の禅僧、良寛和尚が、
『災難に遭う時節には災難に遭うがよく候。死ぬる時節には死ぬがよく候。これはこれ災難を逃るる妙法にて候』と仰っています。
この言葉は、一八二八年十二月に良寛和尚が71歳の時、新潟県で死者千五百名以上ともいわれる「三条地震」という大地震が発生し、その際に友人であった俳人の山田杜皐へ送った手紙の一節です。地震で子どもを亡くした山田杜皐は良寛和尚の安否を心配して手紙を出し、その返事の最後に書かれていたのがこの言葉でした。
非情な言葉とも捉えられかねませんが、良寛和尚が伝えたかったのは、『災難を受け入れたくないと思うことで「地震」は「災難」となり、災難を受け入れることで地震は「地震」となる』ということだったのではないかと思います。つまり、「あるがまま、そのまんま」生きていきましょうと言うことでしょう。 「災難にあったら慌てず騒がず災難を受け入れなさい。死ぬ時が来たら静かに死を受け入れなさい、これが災難にあわない秘訣です」ということです。災難によって家を「壊された」と嘆くのではなく、地震によって「壊れた」と、ありのままに受け止めようということを伝えたかったのだと思うのです。もちろん簡単なことではありませんし、よほど信頼関係が無ければ言えることでもありません。良寛さんは、腹を決めて現実を見すえることが迷いから抜け出る最良の方法だと言いたかったのでしょう。
ちなみに、手紙の前半には、「「地震は信に大変に候。野僧草庵は何事もなく、親類中死人もなくめでたく存じ候。《うちつけに死なば死なずに永らえて かかる憂きめを見るがわびしさ》」とあり、地震で被害に遭った山田杜皐のことを憐れみつつ、自らの無事を伝え、さらに「生きながらえてしまったことで人々が悲しみに打ちひしがれる姿を多く目にすることとなってしまい、やるせない思いでいる」と短歌をしたためています。
いつ起こるかも分からない災害に、完璧に備えることは難しいかも知れません。今まで発生してきた災害で犠牲になられた多くの方々、そして今尚避難されている方々の声を聞くことが真っ先に私たちが出来る防災ではないかと思います。ありのままの私を、ありのままで救ってくださる阿弥陀仏のご本願をありのままにお聴かせいただく日々を過ごせることの幸せを感じることです。
令和元年 九月