浄土真宗本願寺派 興徳山乗善寺

ちょっといい話

法話

私の生き方

No.620

「私たちのちかい」

一,自分の殻に閉じこもることなく 穏やかな顔と優しい言葉を大切にします
  微笑み語りかける仏さまのように

一,むさぼり、いかり、おろかさに流されず しなやかな心と振る舞いを心がけます
  心安らかな仏さまのように

一,自分だけを大事にすることなく 人と喜びや悲しみを分かち合います
  慈悲に満ちみちた仏さまのように

一,生かされていることに気づき 日々に精一杯つとめます
  人びとの救いに尽くす仏さまのように


この「私たちのちかい」は平成28年10月1日、第25代・専如ご門主の伝灯奉告法要の初日に示されたご親教・「念仏者の生き方」をより親しみやすく、理解しやすくするために肝要を四ヵ条にまとめたもので、平成30年11月23日の「秋の法要」に引き続き述べられたお言葉の中で示されました。特に浄土真宗のみ教えにあまり親しみのなかった方々にもさまざまな機会で唱和されることを願って示されたものです。私たちが永く親しんできた「浄土真宗の生活信条」は昭和33年4月16日、大谷本廟での親鸞聖人七百回大遠忌法要「御満座の消息」において第23代・勝如上人(前々門様)が示されたものです。この生活信条が御同朋にむけてさらに念仏を喜ぶ生活を送るように促しているのに対し、この度の「ちかい」は先にも述べたように、宗教離れが著しい現代社会において御縁の浅かった方々に向けられてお示しくだされたものです。

この「ちかい」を目にしたとき「和顔愛語」、「三毒の煩悩」、「四無量心」、「報恩感謝」という言葉が思い浮かびました。「和顔愛語」とは浄土真宗の最も大切なお聖教である『仏説無量寿経』(以下「大経」)の中で「先意承問」と続き、法蔵菩薩の行の一つとして、相手の身になって穏やかな心とあたたかい言葉をもって接することの大切さが説かれているものです。衆生の布施行が説かれている「雑宝蔵経」の中の「無財の七施」(限施・和顔悦色施・言辞施・身施・心施・床座施・房舎施)と混同しないように注意しなければなりません。「三毒の煩悩」とは貪欲、瞋恚、愚痴のことでまさしく、むさぼり、いかり、おろかさのことです。これらは私たちに害をなす根本で、「大経」にはこれらの煩悩を離れ、浄土往生を願うことの重要性が説かれています。

「四無量心」とは慈・悲・喜・捨の四つの利他の心のことで、なかでも喜無量心(相手の幸福を共に喜ぶ心)はまさしく「私たちのちかい」に込められた思いを強く表すものでしょう。最後の「報恩感謝」には、阿弥陀仏の本願によってのみ救われる私たちが仏恩に感謝する生活を送ることが、最も大切なことと示されています。

浄土真宗本願寺派の代表的な仏教讃歌の一つに『生きる』があります。

「生かされて生きてきた 生かされて生きている 生かされて生きていこうと 手を合わす 南無阿弥陀仏 このままのわがいのち このままのわがこころ このままにたのみまいらせ ひたすらに生きなん今日も あなかしこみほとけと あなかしここのわれと 結ばるるこのとうとさに涙ぐむ いのちの不思議」

先にこの「私たちのちかい」は、教えにあまり親しみのなかった方々に向けられているものと述べましたが、この「ちかい」の言葉を唱和することをはじめの一歩として「阿弥陀仏の御心によって既に救われている」こと、「生かされて生きている」ことに気づかされ、この四ヵ条を、報恩の思いで実践してゆくことが私の生き方として本当に大切な事なのです。

令和元年 七月