浄土真宗本願寺派 興徳山乗善寺

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法話

浄土真宗の仏事

No.658

私たちの浄土真宗では他宗さまとは仏事作法が異なり、ご本尊さまである阿弥陀さまを中心にすべての仏事が営まれます。ですのでお位牌や過去帳、ご遺骨に対しての読経・礼拝と思われている方もいるかもしれませんが、そうではありませんので注意しましょう。

亡くなった方やご先祖さまのご遺徳に感謝をすることは大切なことであり、尊いことであります。そのことをご縁として私たちは阿弥陀さまの願いを聞かせていただき、お救いにお礼をさせていただくのが浄土真宗の仏事なのです。

お念仏のみ教えでは、先立たれた大切な方は阿弥陀さまのおはたらきによってお浄土に生まれ、仏さまとなられてこの私を仏法のご縁に導いてくださっています。そしてやがてはこの私もお浄土に生まれ、仏とならせていただいて阿弥陀さまと一緒に人々の悩みや苦しみを取り去るはたらきが出来ることを喜ばせていただくのです。

先に往かれた方も後に遺った私たちも阿弥陀さまの大きな大きないのちのつながりの中で生かされているのです。

まずは、みなさんもお寺さんが阿弥陀さまの前に座ったら「なまんだぶ」、「なまんだぶ」とお念仏を唱えますのでそれに続いて感謝のお念仏を申しましょう。
阿弥陀さまのお救いは未来にあるのではないのです。また、昔でもないのです。今この身に、このまま、今にあるのです。今の私が救われるという事は過去の私も未来の私もすべて阿弥陀さまのお救いのなかにあるということです。

私たちは、日々生活するなかで過去の出来事を嘆いてみたり、先々のことに不安や心配を抱いたりし、私たちの悩み、苦しみは尽きることはありません。しかし、そんな私をそのまま阿弥陀さまは、「放ってはおかないぞ、あなたと共に歩むぞ」といつでも、どこでも、どのような状態でもこの私にはたらき続けてくださっておられ、必ず救うという阿弥陀さまの願いの中で大きな安心をいただき日暮らしをさせていただくのです。

親鸞聖人のお書き下された正信偈に「不断煩悩得涅槃」とあります。不断煩悩というのは、たとえ煩悩を断ち切ることができず煩悩を抱えたままであっても極楽浄土に必ず行くことができるということをあらわしています。

本当の幸せとは苦しみ悩みが無くなることではなく、苦しみ悩み、あるがまんまに抱かれていく世界に出遇っていくことなのです。苦悩多き人生を生き抜いていける道こそがお念仏の道なのです。

この苦悩多き人生、煩悩(欲望)の尽きることのない身をかかえてその身から逃げることなく、受け止めていける人生がお念仏の教えを聞くことを通して開かれてくるのです。

普段はなかなか忘れがちですが、いつでも阿弥陀さまの大慈大悲の光に包まれている私たちです。

感謝の気持ちを忘れずにこれからも報恩感謝のお念仏を申す人生を送らせていただきましょう。

よく、毎月のお参りはいつまで続けたらいいのですか?、法事は何回忌までするものなんですか? などと聞かれることがありますが、いつまでということはありません。

それぞれに事情はあるとは思いますが、どんな形であれ、私たちは大切な亡き方を仏さまと仰ぎ、これからも阿弥陀さまにお礼を申す人生を歩ませていただきたいものです。


令和四年八月