毎朝テレビをつけると今日の運勢のコーナーがありますが、自分の星座が一位だとうれしくなり、最下位だとラッキーアイテムがちょっと気になってしまいます。カレンダーにも大安や仏滅などと書かれていて、普段はたいして気にしていなくても人生の節目である結婚式や工事の着工式となるとやっぱり大安に行うほうが良いとか、お葬式は友引を避けたほうがいいなんて思っている方が多いのではないでしょうか。札幌では友引が火葬場の休業日になっているためにお葬式ができないだけであって友引に火葬場が利用できる地域ではお葬式をしています。
これらは、もともとは中国の陰陽道の六曜という争いごとの時の占いであり、何か仏教と深い関係があると思っている方も多いと思いますが、全く仏教とは関係がありません。
少し詳しく調べますと、大安は泰安が元になっており、万事において吉という日、仏滅は物滅が元になっており、いい勝負なしの日、友引は共引が元になっており、引き分けの日だそうです。
また、現代においても未だにたくさんの迷信が根強く残っています。靴下を履いたまま寝ると親の死に目に会えないというのはお葬式の時に亡くなった方が白足袋を履かされるところからきています。写真を撮られると魂を吸われるというのはカメラの仕組みが分からない時代に人の姿が複製されることは箱に魂を吸い取られていると考えられたからです。北枕で寝てはいけないというのはお釈迦様の入滅のとき頭を北に向けていたことからそういわれるようになりました。
しかし、お釈迦さまは、そのような占いや迷信、方角、日の善悪というような何か人間を超越した力によって物事がすでに決められているというような考えは外道と戒められ、すべてのことには必ず原因と結果があるという因果の道理を説かれているのです。 それは、私の行いが明日の私を生み出すということです。私が思ったことや口にしたこと、人に見られていないときの行動までも自分の未来を作り出すのです。
仏教徒には「在家の五戒」といって自分を律する内面的な道徳規範があります。
「不殺生戒」生き物のいのちを奪わないように心がけること。
「不偸盗戒」他人の物を盗まないように心がけること。
「不邪婬戒」不適切な異性との関係は持たないように心がけること。
「不妄語戒」うそをつかないように心がけること。
「不飲酒戒」お酒を飲まないように心がけること。
ただこれらを破ったからといって罰則があるわけではありません。戒というのは、サンスクリット語でシーラといい、習慣という意味で心がけるということです。補足ですが、お酒を飲むことが悪いのではなく、お酒を飲んだ後の行動が問題ということで、戒律の律というのは修行僧が守るもので修行僧には破ると罰則があります。
浄土真宗はそのような五戒を守ることができない私が阿弥陀さまのはたらきによって救われていく教えでありますが、だからといって阿弥陀さまはどんなものでも必ず救ってくださるのだから五戒なんて守らなくてもいいんだと開き直ってしまうことは決してあってはなりません。
親鸞聖人は「いくら薬があるからといって毒を好んではならない」と戒められています。
私たちは過ぎ去った過去を変えることも、明日の私に触れることもできません。しかし、今日の私の生き方、いのちのありようは見つめることができます。何か都合の悪いことがあるとすぐに人や物のせいにしてしまい、自分自身を省みることが疎そかになってしまいます。これからも因果の道理をわきまえ、迷信に惑わされることなく阿弥陀さまのお慈悲に感謝して共に今を大切に歩んで参りましょう。
令和二年 三月