浄土真宗本願寺派 興徳山乗善寺

ちょっといい話

法話

2026

浄土へ往き生まれる

No.695

「暑さ寒さも彼岸まで…」

あれほど暑かった夏も少し陰りを見せ、朝晩は涼しくもなってきました。

お彼岸は真西に沈む太陽を見て、西方十万億土先にあるお浄土を偲び、いずれは私もそこに生まれたいと想う「到彼岸」という仏教行事であります。

もともと「彼岸」とは季節を表す言葉ではなく、阿弥陀仏の「お浄土」を表す言葉です。 あらゆるものにはすべて限りがあり、苦しみ悩みに満ちたこの世界を「此岸」といい、阿弥陀如来のはかり知れない無量のいのちの極楽浄土を「彼岸」といいます。いのち終わればこのお浄土に生まれることを願うのが彼岸会の意味であります。

最近では、お彼岸の本当の意味を知らずに、ただの休日だと思っている人もいるようですが、お彼岸というのは、インドのサンスクリット語の「パーラミター」が語源となっています。それが中国で音訳されて「波羅蜜」と言われるようになり、その意味を「到彼岸」といい、迷いの世界(此岸)を渡り、悟りの世界(彼岸)に至るという意味であります。

よく「人間死んだらお終い」とか、「死者に対して安らかに眠る様に」とか言われることもありますが、浄土真宗では阿弥陀仏から真実信心を恵まれて、いのち終わって 仏と成るみ教えですから、消えてなくなるわけでも、お墓の中で眠るのでもありません。「仏に成る」とは、阿弥陀仏のご本願のはたらきによって浄土に生まれ、真実に目覚めたいのちをいただくことをいうのです。さらに、浄土に生まれ仏と成られた方は、直ちに迷いの世に還ってきて、縁ある人々を導いてくださるのです。

いま、私たちが仏法に出遇うことができてたのは、ほとんどの方が身近な方を亡くされたことをご縁としている方が多いでしょう。目には見えない阿弥陀仏の救いがあることに気づくことができたのは、他ならぬ先立たれた方々が仏と成って私たちを導いてくださっているからこそなのです。

振り返ってみると「あの日、あの時、あの場所で、あの出遇いがあければ…あの別れがなければ…。」という出遇いや別れは誰もが思い当たるところがあるかと思います。

そのお一人おひとりの導きが、私を阿弥陀仏のご本願へと出遇わせてくださったと受け取らせていただくのです。

では、先人が導いてくださった阿弥陀仏のお浄土とはどの様なところなのでしょうか。

『仏説阿弥陀経』には阿弥陀仏のお浄土の様子が説かれております。

その時、仏、長老舎利弗に告げたまはく。これより西方、十万億の仏土を過ぎて世界あり、
名づけて極楽といふ。その土に仏まします、阿弥陀と号す。今現にましまして法を説きたまふ。

お釈迦さまは一番弟子の舎利弗にいいました。(この思い通りにならない娑婆世界よりはるか西方に阿弥陀仏のお浄土があります。その仏国は極楽といい、光りに満ち溢れ、綺麗な花が咲き、鳥が綺麗な声で歌う美しい処である)とお説きになりました。

阿弥陀仏は自分自身のいのちの往く先が分からない私に、「あなたの生まれ往く世界があるんだよ。我にまかせよ、必ず救う」と仰ってくださっています。その喚び声に私たちはいま、ここで安心をいただくのです。

お彼岸にあたり、阿弥陀仏に救われていった先人の方々を偲びつつ、先人が往かれた、また私が往かせていただくお浄土に想いを馳せ、お念仏の人生を歩ませていただきたいものです。

二〇二五(令和七)年 九 月