現在、新型コロナウィルスの影響で 様々な面で生活様式が変わってきています。
マスクの着用なしでは何処にも足を運べなくなり、ソーシャルディスタンスといって人と人との距離をとらなくてはならなくなったり、外出自粛、ステイホームの推奨によって今までになかったストレスを感じている方々も多くなっていると聞いています。
特に外食産業、個人経営者の方々は国や地方の要請等によってとてつもない損害を被っている現状にあります。
お寺においても様々な影響を受け、普段通りの法務、また法要等もできずに淋しい想いをしているところであります。
そのような状況の中で心配に思うことは、コロナによる差別や人と人の距離感の問題です。
また、マスク着用のために相手方の表情がわかりづらくなっていることに不安を感じます。 笑顔と笑顔での付き合いが難しい・・・・。そんな状況でもあるのではないでしょうか。
笑顔での付き合いということで私が感じていることがあります。
幼い頃、お寺に出向いてくれたご門徒の方々などに笑顔で接すると喜んでくれたり、可愛がってくれたり、時にはあめ玉なんかをもらったりで、笑顔でいるとなにか得をするんだなどと思っていました。自分で作っている笑顔でした。
大人になり色々なことを経験する中で体調を崩し、自宅で独り療養させてもらっていた時がありました。独りでいると笑うこともなく、笑って喜んでくれる人もなく、表情のない生活を送っていたように感じます。笑顔になることの難しさを痛感しました。
この時思ったことは、笑顔は自分で作るものではない。声を掛けてくれる人がいて、一緒に笑い合える仲間がいて、自分を受け止めてくれる相手がいるからの表情なんだなと・・・・。
「いただく笑顔」であったと気付かされました。笑顔でいられる喜びを感じさせてもらいました。
『仏説無量寿経』という経典に『和顔愛語』という言葉があります。
「和顔」はやわらな笑顔、「愛語」はやさしい言葉という意味で、「和顔愛語」にして意を先にして承問す」(表情はやわらかく言葉はやさしく、相手のこころをくみとってよく受け入れる)
法蔵菩薩が阿弥陀仏になるために修行に励んでいる時のお言葉です。つまり笑顔で愛情のこもった言葉で話すということです。
和やかな笑顔と思いやりのあるあたたかい言葉を掛け、相手の心の内を察し、先んじて行動することで相手と穏やかに深く繋がっていけるでしょう。
当たり前ではないご縁を、有り難く受け止めさせていただき、この『和顔愛語』の気持ちで他と接することがお互いが笑顔をいただく結果になるのではないでしょうか。
コロナ禍での私たちの在り方は、共にやさしい言葉を掛け合い、「いただく笑顔」に感謝させてもらいながらの生活が大切なことと感じています。
現状を、『和顔愛語』のお言葉を胸に、助け合っていきましょう。
令和三年 二月