浄土真宗本願寺派 興徳山乗善寺

ちょっといい話

法話

2020

居場所

No.623

私たちは社会の一員として毎日それぞれの活動の場で自分の役割を果たしています。

学校でも夏休みが終わり、新学期が始まってもう一月以上も経ちましたが、毎年休み明けのこの時期には学校に来られなくなってしまう生徒が増えてきているといいます。すなわち不登校の問題ですが、今、そのことを取り巻く環境は以前とは大きく変わってきています。大きな変化の一つは不登校への対処の考え方でしょう。「不登校」が教育現場の問題として捉えられるようになった数年前は学校も家庭も原因を追究し、解決して生徒を学校に戻すことに力を注いでいました。 当時の主な原因の一つとして挙げられていたのが「いじめ」でしたので、生徒を取り巻く人たちはいじめをなくして生徒を学校に戻すことを目指していました。それに比べ、近年の不登校の理由は多様化し、明確な理由がないことも少なくありません。また対処の考え方も学校へ戻すことには限られなくなってきています。それは子供の居場所を確保するという考え方です。

それまでも教室に入ることができない生徒は保健室や校長室で過ごす試みがなされていました。

これらはあくまでも登校を目標とする延長上にあるものでした。最近は学校以外にもフリースクールなどの生徒の受け入れ先があり、保護者の意識にも変化が見られ、必ずしも学校へ行くことだけが唯一の選択肢ではなくなってきています。その是非はともかく、どのような形にしても生徒に居場所があるということは大変重要なことです。

居場所ということは子供だけの問題ではありません。大人にとっても自分の居場所をはっきりと感じることは大切なことです。社会に出て仕事に夢中になって働いているときは十分な手ごたえがあり、充実した時間を過ごしていけるでしょう。そんな時は特に自分の居場所などを意識することはないのかもしれません。しかし何らかのトラブルや思ったようにことが運ばない、
いわゆる挫折感を感じた時など、身の置き所がなく、自分の居場所について考え悩んだりするのでしょう。私たちが自分の居場所について考え悩むのはそれが自分の存在意義と同じ意味を持って
いるからだと思います。その集団の中での役割といってもよいかもしれません。今、日本は世界にまれにみる高齢社会に突入しています。労働年齢を引き上げ、多くの人の活躍が期待されています。しかしいつか一線を退き、地域社会の一員として新たなスタートラインに立った時、大切なのは自分の居場所を見つけ出すことです。よく身近な地域社会として町内会のことが話題になります。加入率の低下など様々な問題を抱える町内会ですが、地域に居住する家庭の情報が得られにくくなってきていることに危機感を覚えているという話を聞いたことがあります。

近年、日本各地で大きな自然災害による被害が出ています。北海道でも大きな地震によって被害をこうむり、多くの人々の懸命な努力にもかかわらず、なかなか復旧も思うように進んでいません。災害当時の助け合いの中で最も重要だったのは普段の付き合いだったそうです。

安否の確認はもちろんですが、避難所での生活の中でのちょっとした気配りの上でも人間関係が出来ているのといないのでは大きな違いがあったといいます。住民の高齢化が問題となっている札幌のもみじ台団地は、北星学園大学と提携し団地の空き部屋(特に高齢者が住みにくい4階5階)に学生に住んでもらい、地域活動に参加してもらう試みを始めたという記事を見ました。

学生が住むようになったことにより、大小のイベントが企画され、今まで活動に消極的だった高齢者もかかわりを持つようになってきたといいます。学生も高齢者も新たな出会いによって、新たな居場所をみつけたといえるでしょう。居場所とは自分一人で出来上がるものではなく、人と人との関わり、人間関係の中で得られるものです。他人のために自分は何ができるのか、自分の周りにどんな人たちがいるのか、自分の居場所、役割は何なのか、あわただしい日常の中で少し立ち止まってそんなことに思いをはせる時間を持つのも大切な事なのではないでしょうか。

令和元年 十月