浄土真宗本願寺派 興徳山乗善寺

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有り難い人生

No.655

最近、世界の情勢が大きく変わってきています。

数年前からのコロナウィルスの感染拡大という脅威による生活の変化。みんながマスクを着けての生活は以前には想像もつかない出来事であると思われます。

又、自然災害においても世界各地でいろいろな災害が発生しており、日本でも今シーズンの冬は災害級の大雪の影響で思うように日々の生活が出来なかった方も多かったのではないでしょうか。更に各地での地震も心配事のひとつで不安感が尽きないように思います。

更に又、ロシアとウクライナとの戦争で、ウクライナ国内での想像を絶する悲惨な状況は本当に悲しく悔しい思いでの出来事であります。
《2022/04/20 現在》

今後、ウクライナとロシアとの間でのことを思うと恐ろしく、他国のこととして済まされることではないような不安を感じてしまいます。

日本での戦時中の話を以前によく聞かせてもらい、分かりやすくお話いただきましたが、戦後生まれの私たちにはどうしても実感が湧きませんでした。しかし、テレビなどで報じられる今の現状を考えると他人事ではないという気持ち、不安が頭をよぎります。

近年はこのように、様々な不安を感じさせられることが多く起こっています。
『当たり前』の生活が難しくなり、これまで当たり前だと思っていたことがそうではなかったと気づかれている方も少なくないと思います。

当たり前の対義語をご存じでしょうか? それは『有り難い』という言葉になります。

漢字を読んでそのまま「有ることが難しい」ということです。この言葉の意味をを持った言葉が「ありがとう」というお礼・感謝の言葉であることはご承知のことでしょう。

ありがとうの心情は、あって当然だと思っていたことが実は当たり前ではなく、有ることが難しい中でのことであったと感じることです。

そもそも、私たちがこの世の中に存在することも有り難いことであり、さらにその存在の中で仏法に遇えたことは万が一の出来事であり、感慨深いことであります。
「遠慶宿縁」(遠く宿縁を慶べ)という、親鸞聖人のお言葉があります。

これは仏さまのご縁に今、遇わさせていただいている私たちは遙か遠い過去からの因縁があってのことであり(宿縁)、とんでもないことと慶ばせていただくことであるというお言葉です。

遠い宿縁によって仏法に遇わせていただいた私たちは益々当たり前の気持ちから有り難いの気持ちに変えられた人生を送ることができるでしょう。

当たり前から有り難いの心の変化、それは心を充実させることです。
「人身受けがたし 今すでに受く、仏法聞きがたし 今すでに聞く」と帰敬文(仏法の教えに従って生きていきますという誓いの言葉)にあります。

例えとして、砂漠の砂の一握りが人として生を受ける有り難さ、その中の砂の一粒が仏法を聞く有り難さであると言われます。
人として生まれ、仏法に遇い得たことに慶びを感じながら先達の方々に感謝し、今ある出来事を深く思慮していけるといいですよね。
「ありがとう」と生活させていただける私たち一人ひとりでありたいものです。
 

令和四年五月