浄土真宗本願寺派 興徳山乗善寺

ちょっといい話

法話

2025

大丈夫

No.686

普段からよく使う言葉として「大丈夫」という言葉がありますが、実は仏教語だということをご存知でしたか? 現在は大丈夫」の意味は、辞書には次のように書かれています。
 1.あぶなげがなく安心できるさま、強くてしっかりしているさま
 2.まちがいがなくて確かなさま

また、昔は立派な男性のことを「益荒男」と言いましたが、「丈夫」と書いて「ますらお」とも読むように、立派な男性のことを「大丈夫」と言ったのです。

さらに、インドの古典語であるサンスクリット語では「大丈夫」のことをマハープルシャと言い、「マハー」は「偉大な」という意味で、「プルシャ」は「人、男性」という意味があり、マハープルシャは偉大な人間とか、偉大な男性という意味であったといいます。

では、仏教として「大丈夫」という言葉はどこから出てきたのでしょうか。

『涅槃経』には「大丈夫」とあり、『華厳経』には「諸々の修行者は、この法に安住すれば大丈夫の名号を得る」とあります。

『仏説無量寿経』には「調御丈夫」と出てきますが、これは「十号」という十種類ある仏さまの呼び名の一つなのです。サンスクリット語で、「すぐれた御者」、すなわち「馬を操る人」という意味で、そこから転じて「仏道への導き方が上手な人」となったのです。まさに「大丈夫」とはお釈迦さまのことを表している言葉であり、仏に導かれ心から安心できる様子を「大丈夫」と表しているのです。

その「大丈夫」であるお釈迦さまは『浄土三部経』で阿弥陀仏の救いを説かれました。

親鸞聖人は、「南無阿弥陀仏」の六字を「本願招喚の勅命なり」と仰り、「われにまかせよ」という仏さまの喚び声であるとお示しくださいました。つまり、「南無阿弥陀仏」とは、阿弥陀仏が私に向けて願いをかけてくださり、「安心しておくれ、あなたのいのちは私が引き受けた」と、私を包み込んでくださるお言葉なのです。

そうは言っても、私たちはその仏の命令に従うことがなかなかできません。仏の命令よりも自らの煩悩を優先して生きてしまっているのが私たちであります。

しかし、人生は思い通りにはいきません。一寸先は闇、いつ逆境に陥るかわかりません。

自らの煩悩のままに従った人生は虚しく、淋しいものです。私たちに虚しい人生を送らせないために、真実の世界から「真実にめざめよ」と願い、はたらいてくださるのが阿弥陀仏なのです。お念仏に出遇ってこそ、煩悩に振り回されない人生を歩ませていただくことができるのです。

阿弥陀仏の救い、大慈悲心による光はあらゆる人々を照らしてくださっています。

私たちには、その光を見ることはできませんが、阿弥陀仏はいつでも、どこでも照らし続けてくださっているのです。
 『煩悩にまなこさへられて 摂取の光明みざれども
   大悲ものうきことなくて つねにわが身をてらすなり』

不安や心配事のない人生はありません。思い悩み、苦しみ、悲しみの避けられない人生です。

お釈迦さまがお示しくださったみ教えを依りどころとして、「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と喚んでくださる阿弥陀仏の声を頼りに、親鸞聖人が歩まれたお念仏の道を歩んでまいりましょう。

二〇二四(令和六)年 十二月