浄土真宗本願寺派 興徳山乗善寺

ちょっといい話

法話

源信和尚

No.596

今年の七月十五日から奈良国立博物館で千年忌特別展「源信 地獄・極楽への扉」が開催されます。源信和尚は平安時代中期の天台宗の僧侶で、九四二年に奈良の当麻の里に生まれ、一〇一七年にお亡くなりになりました。昨年二〇一六年が千年忌に当たるのを受けて特別展が開かれ、期間中に様々な講座も行われる予定です。源信和尚といえば私達浄土真宗にもかかわりの深い方です。最も身近に思われるのは、『正信偈』に七高僧の第六祖としてその教えが述べられている事でしょう。

『源信広開一代教 偏帰安養勧一切 専雑執心判浅深 報化二土正弁立 極重悪人唯称仏 我亦在彼摂取中 煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我』ー意訳すると(「源信和尚は釈尊の説かれた教えを広く学ばれてひとえに浄土を願い、また世のすべての人々にもお勧めになって、さまざまな行をまじえて修める自力の信心は浅く、化土にしか往生できないが、念仏一つをもっぱら修める他力の信心は深く、報土に往生できる。きわめて罪の重い悪人はただ念仏すべきである。わたしもまた阿弥陀仏の光明の中に摂め取られているけれども、煩悩がわたしの眼をさえぎって、見たてまつることができない。しかしながら、阿弥陀仏の大いなる慈悲の光明は、そのようなわたしを見捨てることなく常に照らしていてくださる」)と述べられた。ー 辻本 敬順著 現代語訳『レッツ!正信偈』より

源信和尚が天台宗の僧でありながら日本の浄土教の基礎を築いた方といわれるのは何故でしょう。法然上人や親鸞聖人にも大きな影響を与えた教え、考え方とはどのようなものであったのでしょうか。源信和尚の著述で特に浄土真宗の聖教とされるのは『往生要集』三巻です。その中で仏教本来の目的は極楽に往生することであることを強く説かれています。その背景には、仏教は大陸から伝わってきた時からこの時代まで、この世での願いをかなえるためのものとして用いられることが中心で、平安時代になるとその傾向はさらに拍車がかかってきていたこと。そして本来、自らの努力で往生成仏を願うことが解かれるべきであった聖道の教えも、いわゆる現世祈祷へとその姿をかえていったということがあげられます。源信和尚はこのような仏教の有様を憂い、仏教を本来の姿に戻すという思いを強く持たれたのでしょう。よく源信和尚の『往生要集』には地獄・極楽が説かれているということを耳にします。確かに地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六道は苦悩の世界であり、厭うべきものと説いています。

しかし本当に説きたかったのは地獄を説くことによって現実の社会を見つめ、私たちが目指すべきものを明らかにすることだったのです。まさしくそれこそが浄土に往生することを願うものであると説いているのです。往生を願う浄土は、まさしく阿弥陀仏の極楽浄土であると説くところに源信和尚が日本の浄土教の基礎を築いたとされる所以があるのです。先に引用した正信偈の中に「専雑執心判浅深 報化二土正弁立」とありますが、ここが源信和尚の教えで特に注目すべきところです。つまり浄土には報土と化土があると説いているのです。報土とは阿弥陀仏の極楽浄土、化土とはその他の浄土の事です。もちろん源信和尚は天台宗の僧侶でありますから、『往生要集』にもその立場が反映されています。つまり自らの努力をつみかさねるような教えと、すべてを阿弥陀仏に任せるほかはないという教えの両方が説かれています。

しかし序文の「利智精進の人は未だ難しと為さず、余が如き頑魯の者 豈に敢へてせんや。是の故に念仏の一門に依って、聊か経論の要文を集む。之を披き 之を修するに覚り易く行じ易し」の一文からは末世の凡夫が救われるのは、往生極楽の念仏のほかにはないという思いが伝わってきます。親鸞聖人は高僧和讃の源信章に「本師源信ねんごろに 一代仏教のそのなかに念仏一門ひらきてぞ 濁世末代おしへける」と称え、諸経論から往生極楽の重要なものを集め、様々な仏教の教えの中から念仏の教えを明らかにされた源信和尚の功績をたたえているのです。