浄土真宗本願寺派 興徳山乗善寺

ちょっといい話

法話

2020

有無同然

No.621

現代は、モノが豊かになり、大量消費社会と言われています。昔は、いいものは一生モノと長く大切に使ってきましたが、近年は、使い捨ての時代になり、消費するためにモノがつくられるようになりました。特に電化製品は直すよりも新しく買った方が安く、古いものを大切に使うという事が難しくなりました。車にしても十三年以上乗ると自動車税が上がり、早く買い替えをしましょうといわんばかりです。

また、近年は多くの人が「買い物依存症」に陥っているといわれています。企業側の巧妙なキャッチコピーに踊らされ、テレビショッピングやネットショッピングで簡単にモノが買え、必要のないものまでとりあえず安いから買っておこうとか、それがエスカレートして買い物という行動自体が気晴らしを通り越して快楽となってしまい、カード破産をする人が急増しているといいます。

私たちはほしいものが手に入ればその時は満足感があるが、それもすぐに消えてしまい、また次のものへと欲望は尽きることはありません。

そしてお金があれば、結婚できれば、子供がいれば、マイホームがあれば、出世すればきっと幸せになれるに違いないと、それらを求めて生きているのが私たちです。しかし、それらがあればあったで、またそれにかかわる様々な苦悩があるものです。
そのことをお釈迦さまは、『大無量寿経』に次のようにお説き下されています。

「田畑や家が無ければ、それらを求めて苦しみ、 有れば、管理や維持のためにまた苦しむ。その他のものにしても、みな同じである」と。

物があっても無くても、私たちの悩みや苦しみは同じで、無くならないということです。でもやっぱり無いよりは有ったほうがいいと思ってしまうのが私たちの欲の深さであり、迷いなのでしょう。

仏教では小欲知足といって、欲を少なく足ることを知る人生を目指すのが仏教徒としての生き方ですが、私の煩悩の闇は深く、考え方や心の持ちようくらいでどうにかなるものではありません。

親鸞聖人は我執から離れることが出来ずに、無いこと有ることに苦悩する私が唯一救われる道は「南無阿弥陀仏」のお念仏の道以外にないと断言されました。「南無阿弥陀仏」とは、自分の思いにとらわれ、阿弥陀さまに背を向けて生きている私をどこまでも追いかけてつかまえてくださる阿弥陀さまの摂取不捨のおはたらきにおまかせするということです。

私たちは、楽しい生活だけを求め、自分の苦悩から目を背け続けています。

そんな私を阿弥陀さまは「悩み苦しみを抱えたあなたこそが心配でたまらない。どうかお願いだから救わせておくれ」とまでおっしゃられているのです。

私たちは、たまたま家が昔から浄土真宗だったから、近くのお寺が浄土真宗だったからと簡単に考えてしまいがちですが、いまこうして阿弥陀さまの前で手を合わさせていただいているということは自分の力ではなく、阿弥陀さまのお手回しと受け取らせていただくところに浄土真宗のすべてがあるのです。

日本では、若者の宗教離れが進み、結婚式はキリスト教で、初詣は神社へ、お葬式は仏教と思っている人が多いようですが、もう一度、自分は何を「宗の教え」として人生を歩むのかをしっかりと考えることが大切です。近年は、核家族になり、ご家族そろってお参りするということが難しい時代になりましたが、今月のお盆を機会にこれからもひとつひとつの仏縁を丁寧につとめ、阿弥陀さまに「ありがとうございます」と感謝のお念仏を申させていただき、お浄土への道を心豊かに歩み続けてまいりましょう。

令和元年 八月