浄土真宗本願寺派 興徳山乗善寺

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法話

想定外

No.612

9月6日に起こった「北海道胆振東部地震」では多くの方が犠牲になりました。
又、未だ避難生活を余儀なくされ、この先も家に帰ることが出来るのかと不安の中で生活されている方も多くいらっしゃいます。

被災された皆さまには心よりお見舞い申しあげます。

さて、すっかり秋も深まり、そろそろ本格的に冬の準備もしなければならない時季になりました。今年はすでにインフルエンザも流行しているようで、早めに予防接種するなど対応した方が良さそうです。

しかし、いくら気をつけていても病気になるときはなります。「インフルエンザが流行っているから気をつけてね」と言うと、「予防接種しているから大丈夫だよ」と良く耳にしますが、予防接種をしていてもインフルエンザには感染しますのでご注意を・・・。普段は病気になりたくないと思い、生活をしていますが、思い通りにはいかないことが多々あるものです。

病気だけではありません。思えば、電気、ガス、水道など、普段当たり前に使えると思っているものも、決して思い通りに使えるのではありません。先日の地震で全道で停電するという、まさに「想定外」のことが起こりました。
現代において、電気が使えなくなると言うことは、思っていた以上に不便さを感じることでありました。照明、炊飯、テレビ、冷蔵庫、洗濯機・・・。当たり前に使っていたものが電気が無ければ何の役にも立たなくなってしまい、特に携帯電話は充電が出来ずに苦労された方も多かったと思います。

明治初期に電気が普及し始める以前は、先に挙げた照明や冷蔵庫など、いわゆる家電製品はもちろんありませんでした。しかし、電気が普及して以来、様々な家電が開発され、その機能もどんどん進歩していき、
今や家電は生活の中で必需品となり、「あれば便利」なものと言うより、「あって当然」なものになりました。そのことが「想定外」の停電によって大混乱を招くことになったのでしょう。元々無かったものを頼りにして生活して、自分たちが作り出したものに振り回され右往左往させられているのが現代の私たちなのだと思い知らされたことであります。本当は無いものに振り回され、本当にあるものが見えづらくなっているのでしょう。今回の停電の際に多く聞かれたのが「星空がすごくキレイだった」という声でした。

まさに、電気を使っているときには気づかなかった星空が停電をしたことによってキレイに輝いていたことに気づかされたのです。普段、星が無いわけではありません。確かにあるものが見えづらくなっていたのです。近年、物質的に恵まれた社会に生きている私たちはモノがあることに慣れてしまい、有り難さを感じることに鈍感になってしまいました。有るのが当たり前ではなく、無いはずのものをいただいているのだと気づかせていただくことです。
「生は偶然、死は必然。」私たちのいのちもまた、いま生きていることが当たり前ではありません。

逆に、生きているということは、必ず死んでいかなければならないということなのです。「おまえも死ぬぞ!」明日があると思い込んでいる私にとって深く心に突き刺さる言葉であります。

まさに人生は苦なり、思い通りにならない、ままならないのが私たちの人生であります。つまり私たちにとってはあらゆることが「想定外」なのです。私たちの想定は経験からくるものがほとんどですが、「千年に一度」とか、経験したことがないことを言われてもピンとこないのが正直なところでありましょう。不確かな「私」を頼りとするのではなく、いつの時代であっても、どこにいようとも、変わることのない仏法を頼りとさせていただく、「想定外」ではない人生を歩ませていただきたいものです。