浄土真宗本願寺派 興徳山乗善寺

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お経

No.651

お経と言えばお寺さんが唱えるものはみんな「お経」と思われている方が多いのではないでしょうか。

そもそも「経」というのは仏教を開かれたインドのお釈迦さまが説かれた教え(法)を言います。

お釈迦さまは35歳で悟りを開かれて80歳でお亡くなりになるまでの45年間、世の真理を説かれましたが、お釈迦さま自らは一切記録を残されませんでした。そのため、お釈迦さまの滅後にお弟子たちが、お釈迦さまの尊い教えを後世に伝えるべく「私はお釈迦さまからこのようにお聞きしております」とお聞きになった教えを七千余巻の巻物に書き残されました。元々はインドのサンスクリット語で記されていましたが、その教えは中国に伝わり、翻訳をされて漢字になり、そのまま日本に伝わってきて今、私たちが目にする経となっているのです。ですからお経の初めは「仏説」という、つまり「お釈迦さまが説かれた」という言葉に始まり、次に「如是我聞」ー是くの如く我聞く とお釈迦さまの法が説かれているのです。

浄土真宗の開祖である親鸞聖人は比叡山でのご修行中におそらく相当な数の経典を読破されていると想像しますが、八万四千もあると言われる経典の中から『仏説無量寿経』、『仏説観無量寿経』、『仏説阿弥陀経』の三部にこそ「煩悩を捨てきれない私が救われていく法が説かれている真の経典」と選出されました。

私たち浄土真宗の門徒にとっては『正信偈』をよく拝読します。正信偈は親鸞聖人が三部の経典によって罪悪深重の凡夫の私をお救いくださる阿弥陀仏の存在を知らされた歓喜の心、そしてその事を伝えてくださった七高僧(インド、中国。日本の七人の高僧)の徳をたたえる聖人の信仰告白の偈であります。

「偈」とは文字の数を定めて仏徳をほめたたえる歌です。

ですから浄土真宗では前述の三部の経典こそがお経といわれるものであり、正信偈はお経ではなく「お聖教」と言われています。勿論、七高僧が伝えてくださった書物もお経ではなくお聖教と言われます。

私たちは、お経はご法事等で『仏説無量寿経』、『仏説観無量寿経』は拝読をしますが、毎月のご命日への参詣時には『仏説阿弥陀経』を拝読しています。

お経を唱えることは、「先祖供養のため」、「死者の魂を鎮めるため」、「自分の欲を満たしたいため」等と思っておられる方も少なくはないと思いますが、そのためにお経を唱えるものではありません。

「お経」にしても「お聖教」にしてもそれを唱えるということは仏徳讃嘆に他なりません。

ご門徒の中にはお経もお聖教も上手に拝読される方がいらっしゃいますが、お経を初めて上げてみたいと思われる方は『仏説無量寿経』の中に「偈」として述べられている『讃仏偈』か『重誓偈』を唱えてみてはいかがでしょうか。経本をお持ちでない方はお寺にご門徒用の読みやすい聖典がありますので遠慮なく申し出ていただきたいと思います。両偈ともゆっくり唱えても五~十分ほどのお勤めです。

よく、読経は死者に聞かせてやるものと思っている人もいるようですが、次のような話があります。

「臨済宗の僧・一休さんが京都の大徳寺に居られる時、檀家の方が亡くなって一休さんに《亡くなった方に有り難いお経を聞かせてやってほしいと》と頼まれてその家まで行きました。仏間に行くと白布を覆って横になっている死者の前に座り、手を合わせるや、《すまんが金槌を持ってきてくれ》と言い、その金槌を手に持って死者の頭をゴツンと叩きました。痛いとも言わず身動き一つしないので又、ゴツンと叩きました。相変わらず身動きもしないので一休さんは立ち上がって帰ろうとします。家の人はお経も上げずに帰る一休さんに詰め寄りました。すると一休さんは《たたかれて痛いとも思わぬ者にどうしてお経を聞かせてやれるんじゃ。

お経というものは叩かれて痛いと思う時にこそ聞かせてもらうもんじゃ》と仰った」というのです。 朝夕にお仏壇に手を合わせ、心静かに読経をしてお釈迦さまの心に触れ、仏徳に報恩感謝の思いを込めてお勤めしていただければと思います。そして私たち一人ひとりから、それぞれの家庭からお念仏の声が広く大きく広がっていくことを願い、ご縁を結ばせていただいた皆様と共に人生を送っていく生活を求めて行きましょう。それが念仏者として大切なことです。

令和四年 二月