浄土真宗本願寺派 興徳山乗善寺

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法話

丁度よい

No.656

2022年2月24日、ロシアがウクライナに軍事侵攻を仕掛け、現在までに両国とも多くの犠牲者が出ています。その中には兵士のみならず、赤ちゃんや子供たちもいると報道されています。いかなる理由があろうとも、このような軍事侵攻は許されることではありませんが、ロシアは何故、このようなことを始めたのでしょうか。

第2次世界大戦後、世界はアメリカにつくか、ソビエト連邦につくかで対立します。アメリカについたヨーロッパ西側諸国はNATO(北大西洋条約機構)という軍事同盟を結び、ソビエト連邦についた東側諸国からの攻撃等に備えていました。お互いを敵視する冷戦状態が続いていましたが、1991年に15カ国から成るソビエト連邦が崩壊し、それぞれが国家として独立します。元々民族的にも同じ東スラブ人ということもあり繋がりの深いロシアとウクライナでしたが、2014年、ロシア軍のウクライナ領クリミア半島侵攻を機に、ウクライナ側のロシアへの信用が無くなります。2019年にウクライナ・ゼレンスキー大統領が就任しNATO加盟を望んだことで、ロシア・プーチン大統領が反発し、このような軍事侵攻に至ったのではないかと考えられています。

正直なところ、現代においてこのような軍事侵攻は想像もしませんでしたが、そもそも国の境界は誰が決めたのでしょうか。昔から人は敵味方を作り、アレが欲しいコレが欲しいと争い、奪い合い、いつの間にか「足りる」ということを忘れてしまったように思います。「吾唯足るを知る」という言葉があります。この言葉は、何事も際限なく求めるのではなく、自分にとって必要なもの、必要な量を知る。そしてその必要なもの・量で満足することを知るということです。大切なのは「自分にとっての必要」を知るということ。他人と比べるのではなく、何が自分にとって必要で何が不要なのかを見極めることなのかも知れません。人それぞれ、環境によって必要なものは違いますが、今回のロシア・ウクライナの争いは本当に必要だったのかと疑念を抱かずにはいられません。


『丁度よい』


お前はお前で丁度よい。顔も体も名前も姓も、お前にそれは丁度よい。貧も富も親も子も、息子の嫁もその孫も、それはお前に丁度よい。幸も不幸も喜びも、悲しみさえも丁度よい。歩いたお前の人生は、悪くもなければ良くもない。お前にとって丁度よい。地獄へ行こうと極楽へ行こうと、行ったところが丁度よい。うぬぼれる要もなく卑下する要もない。上もなければ下もない。死ぬ月日さえも丁度よい。仏様と二人連れの人生、丁度よくないはずがない。丁度よいと聞こえた時、憶念の信が生まれます。南無阿弥陀仏

この詩は江戸時代の僧侶・良寛作とされていることが多いのですが、実は石川県野々市町・真宗大谷派常讃寺坊守であった藤場美津路さんが、寺報「法友」に掲載されたものとの説が有力と言われています。

藤場美津路さんはこの詩の最後にこう付け加えています。

「この詩は、自己否定の苦悩の中に聞こえた、仏様の慈悲の言葉です。安易な現状ではありません。

誤って理解されないようにおねがいします。苦しみ、もがき、飽くなき努力の末に『丁度よい』と思えたらいいものです。」と。


「自己否定の苦悩の中に…」と仰っているのです。大人になるにつれて、先述のように人それぞれ、環境によって異なる価値観や考え方があるのだと気づかされ、自分を肯定することが難しくなります。だからこそ、これまでの自分自身を顧みつつ、迷惑かけてばかりのどうしようもない私だと気づかされるのでしょう。現在の社会情勢を考えるとき、自己中心的に行動、言動するのではなく、誰もが「丁度よく」生きられる道を求めていかなければなりません。そうと分かっていても尚、自分中心の殻に閉じこもってしまう私を、そのまんまでよいと願ってくださる阿弥陀さまのお慈悲をいただき、お念仏させていただけることが私にとって「丁度よい」ことなのでしょう。

令和四年六月