浄土真宗本願寺派 興徳山乗善寺

ちょっといい話

法話

食事のことば

No.654

皆さんのお家ではどのようにして食事が始まり、どのようにして食事を終えられますか?

食前・食後に「いただきます」、「ごちそうさま」と言って手を合わせるご家庭が多いでしょう。この二つの言葉にはいろいろな感謝の思いが込められています。今、ここにある食事が私の前に届くまでにどれだけ多くの人の働きがあったことでしょう。数え切れないほどの人が関わり、たくさんの命がここに込められていることを知るべきです。

本願寺派では、これらのことを常に心がけるために「食事のことば」が制定されています。

従来、私たちが親しんできた
「食前のことば」 は
「み仏とみなさまのおかげにより、このご馳走をめぐまれました。
(以下唱和)深くご恩をよろこび、ありがたくいただきます」

「食後のことば」は
「尊いおめぐみにより、おいしくいただきました。
(以下唱和)おかげでご馳走さまでした」

しかし、二〇一〇年一月一日より
「食事のことば」は
「多くのいのちと、みなさまのおかげにより、このごちそうをめぐまれました。
(以下唱和)深くご恩を喜び、ありがたくいただきます」

「食後のことば」は
「尊いおめぐみをおいしくいただき、ますます御恩報謝につとめます。
(以下唱和)おかげでごちそうさまでした」

と新しくなりました。代表者に続く唱和の部分は変更されていません。これは私たちが親しんできた従来のものをできるだけ尊重するという思いからです。

では何故「食事のことば」を改訂してまで制定されたのでしょう。教学伝道研究センターが発行した解説には、『従来の「食事のことば」が現代人の感覚から誤解を招きそうな危惧があることなどによります』とあります。

「み仏のおかげ」というと、人によってはみ仏が食材を提供していると受け取ることもあるかもしれません。本来、明らかにしたかった命そのものをいただいていることへの感謝を誤解のないように伝えるために「多くのいのち」としたのでしょう。余談ですが、お金を払うのだから「いただきます」と言う必要はないということを聞いたことがあります。 それほど極端ではなくても、毎日の「いただきます」が単なる慣習になってはいないでしょうか。本当に感謝の気持ちと他の命をいただいているという思いが込められているでしょうか。「多くのいのち」とはっきりと掲げることで、私たちの毎日の食事が尊い多くの動植物の命をいただくことで成り立っていることに改めて気づかされるのです。

本来そんなことに思いが至らない私に、み仏の教えのおかげでいのちへの感謝の想いが起こるのです。「み仏のおかげ」を「御恩報謝」に込めて表わすところに私たちが念仏者として、報謝の生活を送ることの大切さが説かれているのです。 

令和四年 四月