浄土真宗本願寺派 興徳山乗善寺

ちょっといい話

法話

2020

ゲーム

No.598

皆さんはゲームと言えば何を連想するでしょうか? じゃんけんや缶蹴り、かくれんぼや鬼ごっこもそうでしょう。またスポーツやボードゲーム、カードゲーム、パズル、そしてテレビゲームなど、様々なゲームがあります。ゲームの定義とは、「楽しみのために行われること、時間と場所が区切られていること、勝敗が不確定であること、何かを生産するものではないこと、ルールに支配されること、現実の活動から意識的に切り離されていることをゲームの参加者が知っていることである」とされています。また、あるテレビゲームの開発者は「ゲームとは目的を達成する為のルールに基づいた敵との楽しい闘い」であり、「目的」「ルール」「敵」がゲームの三大要素であると言っています。目的とはゲームに勝つことでもあり、純粋に楽しみ、ストレス発散ということもあるでしょう。頭を使って、体を動かして、勝つか負けるかドキドキするのが楽しいのです。ルールを決め、その中で楽しみ、競い合うのです。強い者が勝つとは限りません。同じルールであっても相手や場所、時間などが変われば結果が変わってくることもあります。誰であっても勝てる可能性があるのがゲームです。そして相手がいないとゲームはできません。相手は人であったり、カードであったり、コンピューターになることもあります。

藤井聡太さんの活躍で将棋が大人気ですが、最近はAIといって人工知能の開発が著しく進んでいるようで、囲碁や将棋などのトレーニングには欠かせないものになりつつあるようです。昭和58年に任天堂からファミリーコンピュータが発売されました。それを皮切りにPCエンジンやプレイステーションなど家庭用テレビゲームが次々と発売され、その度に性能が向上していくことに驚かされてきました。映像や音響は現実と間違えてしまうほどです。そして今では、ニンテンドースイッチという、テレビゲームでもあり携帯ゲームでもある、持ち運びができるゲーム機が大人気となっています。まさに、いつでもどこでもできるゲーム機です。どこのお店も売り切れ状態で、予約もできない状況が続いているようです。その人気に便乗した転売屋がどこかで買い付(つき)け、ネットで高値で売りつけていると言います。お店に入荷しても奪い合いになることが懸念されるため、ほとんどのお店では抽選販売になっているようです。本来、楽しむために開発されたはずのゲームが、ルール無用の転売屋によって買い荒らされ、高値で売られる・・・。ゲームの中の敵ではなく、ゲームを買うために転売屋という敵と戦わなければならないのです。楽しむことよりもお金儲けが目的になってしまってはゲームとは言えません。

私たちの生きる社会にもルールはあります。学校には校則、会社には社則、国には憲法や法律など様々なルール、決まり事の中で私たちは暮らしています。そのルールに反すれば罰則がありますが、「ルールは破るためにある」と言わんばかりに抜け道を探しては罰則を逃れようとする人もいます。「記憶にありません」「会議記録、資料は破棄しました」、最近よく耳にする言葉です。NHKで国会中継を見ていれば聞こえてくるでしょう。現代は法で裁かれる社会であり、証拠がなければどんなことをしてもお咎めなし。証拠がなければ嘘をついた本人しか、それが嘘であることを知り得ません。

私たちが生きる社会はゲームの中ではありません。もちろん様々なゲームを楽しむことは子供の成長にもなり、大人にとってはストレス発散にもなるでしょう。しかし、前述の「現実の活動から意識的に切り離されていることをゲームの参加者が知っていること」とあるように、現実とゲームとを切り離して考えなければなりません。ゲームに没頭することもあるでしょう。ゲームの中を理想の社会と感じてしまうこともあるかもしれません。しかし、それは絶対にあってはならないことです。

そんな私に、思い通りにならない現実をしっかりと見つめさせ、ルールに沿った生き方を教えてくれるのが仏教なのです。誰もが仏に成るという目的を持ち、仏法というルールの中で生きる。そこに敵は必要ありません。支えられ、助けられ、生かされていることに気づかせていただくことが大切なことなのです。自ら敵を作って勝ち負けに一喜一憂し、損得勘定で行動するのは、ゲームの中だけに留めたいものです。