浄土真宗本願寺派 興徳山乗善寺

ちょっといい話

法話

2022

毒矢の喩え

No.629

世界中で猛威を振るっている新型コロナウイルス。中国湖北省武漢市で発生し、瞬く間に世界中に感染が拡大してしまいました。日本でも多くの方が感染し、いのちを落としています。感染拡大はなかなか収まる気配もなく、北海道では二月末から「緊急事態宣言」が発令され、学校は休校となり、会議や宴会など人が集まることを自粛するよう要請がありました。私たちの生活が著しく制限され、それによって様々な弊害が出てきました。休校による児童の居場所や親の対応、仕事減少、株価暴落、店舗や施設閉鎖、マスクや消毒液の品薄、デマ拡散によるトイレットペーパー等の買い占め等々、数え始めるときりがありませんが、お寺でも法要やイベントを中止するという前代未聞の対応をさせていただいております。「怖がりすぎだ」、「経済が持たない」、「自分は大丈夫」、様々な声が聞こえますが、何せ分からないことが多く、リスク管理の観点から中止や延期、規模縮小などせざるを得ないのが現状でありましょう。ips細胞の研究でノーベル生理学・医学賞を受章された山中伸弥教授は、現在の感染拡大防止策を評する声に対して、「今よく言われるのは『エビデンス(科学的根拠)はあるんですか?』と。エビデンスを待っていたらいつまでも対策はできない。新型コロナウイルスは人類初めての経験。エビデンスなんかどこにもない。その間何もしなかったら手遅れになる。対策はしても、しすぎることはない」と仰っておられます。

お釈迦さまのお話の中で「毒矢の喩え」というお話があります。ある弟子がお釈迦さまに対して、「世界は未来永劫に存在するのでしょうか」「世界には果てがあるのでしょうか」「如来は死後も存在するのでしょうか」等、疑問を投げかけ、これらの問いに答えてくれないならば、自分は還俗すると言うのです。

これに対してお釈迦さまは次のようにお答えになりました。

「あなたの疑問に対する答えを求めるのであれば、あなたはその答えを得る前にいのち尽きてしまうでしょう。たとえば、ある人が毒矢で射られ、心配して急いで医者を呼んできて、医者がまず矢を抜こうとしたら、その人が、『この矢はどういう人が射たのか、どんな氏名の人か、背の高い人か低い人か、町の人か村の人か、これらのことがわかるまではこの矢を抜いてはならない。私はまずそれを知りたい』と言うのならば、その人のいのちはなくなってしまうでしょう。あなたの問いはそれと同じです。もし世界は永遠に存在する、しないと答えることができる人がいたとしても、その人にも生老病死の苦しみがあり、様々な憂いや悩みがあるのです。あなたの問いは、人間の本当の苦しみや悩みとは関係のないことです。」

私たちにとって一番の苦しみとは生老病死です。しかし、今本当に向き合わなければならないことを後回しにして、他の問題に目を向けているのが私たちではないでしょうか。何をしなければならないのか、何が最も大切なのか、私たちの一挙手一投足が問われます。その問いに真摯に向き合うことが仏教の目的なのです。阿弥陀仏のお心を知らずに、普段から自分の老病死を隠したり、見ないようにしたり、逃げ回っているのが私たち凡夫であり、そのように真実から目をそらして生きている私たちを追いかけて、摂め取り、決して捨てることがない存在が阿弥陀仏なのです。

新型コロナウイルスによる混乱がいつ収まるか見当もつかない状況であり、当寺としても感染拡大防止のため、四月の法要、イベントは中止・延期とさせていただきます。皆さまにおかれましても、うがい、手洗い、マスク等、出来得る対策をしていただき、お身体ご自愛くださいますよう念じております。また、月忌参り等で住職、法務員がマスク着用の上、読経させていただきますことご了承ください。

令和二年四月