浄土真宗本願寺派 興徳山乗善寺

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法話

傲慢さ

No.641

日本の新型コロナ感染者数は今のところ幸いにも他国と比べて少なく、その原因は未だはっきりとは分かっていませんが、日本の生活様式や生活習慣が少なからず関係しているのではと感染症専門医の方が言われていました。確かに日本では靴を脱いで家に入りますし、お風呂とトイレは別々のところも多く、ウォシュレットも普及していて衛生面では世界一といってもいいでしょう。そのうえ、水道水も普通に飲めて下水の整備も整っているという国は世界では稀です。

生活習慣にしても小さなころから帰ってきた時や食事の前は手を洗い、お店に行っても無料でおしぼりが出て、取り箸を使うのも日本だけのようです。しかし、私たちはこれらのことを決して当たり前と思ってはなりません。世界では手をしっかりと洗えないことによって年間百万人の子供が亡くなっているのです。

今後も地球の温暖化によって氷河の中の膨大な未知なる古代ウイルスが溶け出してしまうことも危惧され、人類は様々なウイルスと共存していかなくてはいけないと思います。そんなことを思うと、ワクチンや薬、生活習慣も大事なのですが、もっと根本的な社会の在り方や人間の生き方というものを考え直さなければまた同じことが繰り返されるのではないかと思います。

現代は効率や利益ばかりを追求し、大量生産、大量消費の経済優先社会になっていますが、その裏ではさまざまないのちが犠牲になっていることを忘れてはなりません。

一つの例ですが、私たちが普段いただいている卵や鶏肉は現在でも安価に手に入りますが、その背景には棚式のケージにびっしりと鶏が入れられて、ただ卵を産ませるような仕組みになっており、一年中照明を点灯して産卵を促しているところもあるようで、卵を産む量が減れば食肉に回されるというのです。また、肉食用として飼育された鶏はエサのコストとお肉の価格から一番利益が取れる日数の60日で出荷されるというのです。そのようなことも私たちは知らずにいただいているのではないでしょうか。

その他のことでも私たちの手に負えないような原発の問題や自然破壊の問題も深刻化しています。そして我が国の昨年の防衛費は過去最大の5兆3133億円となっていて、人類はこれからどこに向かおうとしているのでしょうか。そんな現代の私たちの「傲慢さ」に対して、コロナウイルスは、人間はもっと謙虚に生きなければならないと忠告しているように思えてなりません。

お釈迦さまは、私たちの欲の心に、満足というものはないと説かれました。もうこれで満足と思ったとしてもいつの間にかまたそれ以上に求めてしまい、一時的な満足は得られても永久的に心が満たされることがないというのです。

私たち現代人はもっとお金があれば、もっとモノが手に入れば、もっと便利になればと傲慢さに気づくことなく暮らしていますが、その先には人生の喜びや幸せはないのです。

チベット仏教の最高指導者であるダライ・ラマ法王14世は、「経済的な成長はひたすら欲求不満を生み出すばかり」、「諸悪の真の根源とは、実は私たちのあくなき欲望」と言われています。そして、私たちに必要なものは「内面的な幸福の豊かさ」だといわれています。

私たちは、どんな状況であっても、自らの傲慢さと向きい、求め続けるのではなく、今いただいていることに目を向けて感謝するところに人生の喜びや幸せというものがあるのです。

私たちは阿弥陀さまのおはたらきの中で「仏に成るいのち」をいただいています。仏さまから見ればすべてのいのちは金色に輝いており、私のいのちは他のいのちと平等でかけがえのないいのちなのです。お互いがそんなかけがえのないいのちを生きているという思いを大切にして、これからも他を思いやり、必要以上に求めずに、今を大切に生きていきたいものです。

令和三年 四月