浄土真宗本願寺派 興徳山乗善寺

ちょっといい話

法話

願われている私

No.599

七月上旬から続いていた暑さもようやく収まり、秋の気配が感じられる頃となってきました。観測以来初めてとか、何十年ぶりとか云われる異常な気象にみまわれ、雨風など自然の威力を見せ付けられて、思いもよらない被害に遭われた方々も世界各地でたくさんいらっしゃいます。心よりお見舞い申し上げます。昨年は北海道も台風に襲われ、大きな被害を受けました。その復旧もななかな進まない様子を伺うにつけ、今年も日本各地でたくさんの方々が生活の場を失い、日常生活を取り戻せないことに思いを致すとき、一日でも早い復興を願わずにはいられません。そのような中でも季節はめぐり、お寺の行事も粛々と進んでゆきます。お盆が終わるとすぐに各お寺の報恩講が始まり、お彼岸を迎える頃には半数のお付き合いさせていただいているお寺も既に終えられています。当乗善寺の報恩講は毎年十月二十二日から二十四日の三日間で七座の法要をお勤めいたします。毎座法要前に仏教婦人会の皆さんがお斎を用意してくださいます。今年も早くから話し合いが持たれ、献立などの準備に余念がありません。お勤めの後には布教使さんの御法話があります。報恩講は浄土真宗のお寺にとって一番大切な法要といわれています。勿論他の行事もそれぞれにいわれがあり、重要なものであることは間違いありません。しかし、数ある法要の中で報恩講が最も重要であるといわれるのは何故なのでしょうか。

本願寺の歴史の中で、今日お勤めされているような形の「報恩講」が始まったのは永仁二年(一二九四年)、親鸞聖人の三十三回忌法要の時です。もともと「報恩講」という言葉は浄土真宗独自のものではなく、そのような意味を持つ法要は天台宗の霜月会、新義真言宗の報恩講、浄土宗の知恩講、親鸞聖人存命中の二十五日の念仏会など、それぞれの祖師の忌日に報恩のために行う行事としていろんな宗派に見ることができます。浄土真宗においては聖人存命中は法然上人の忌日に念仏会を営んでいたものが聖人没後、聖人の忌日(旧暦十一月二十八日、新暦一月十六日)に行われるようになりました。その法要を本願寺第三世覚如上人が『報恩講式』を著し、形式を整えて、後に勤式作法なども定められて全国の末寺や在家にも広がっていきました。西本願寺では新暦により一月九日から十六日まで忌日当日までの七昼夜にわたって営まれ、御正忌とも七昼夜ともいわれます。末寺や在家の多くでは本山に先立ってお勤めするので、御取越・引上会・御引上ともいわれています。親鸞聖人がこの世にお生まれになられなかったらお念仏の教えに出遭うことができず、ましてや阿弥陀仏の教えを残してくださらなければ、私が浄土に往生して仏に成ることなど思いもよらないことで、成仏が約束されるなど到底かなわないものであったことでしょう。

さまざまな宗教を見てみると、いろいろな参詣のありようが見られます。その中には俗にいう「おかげ参り」といわれるものも多く見受けられます。 代表的なものは江戸時代の伊勢神宮への集団参詣でしょう。中世以降、現世に失望した民衆が来世を願い寺院に巡礼したことに始まり、神社にも巡礼の対象を広げたものと思われます。この過程で参詣の目的は来世を願うことから現世祈祷へと変わってゆきました。

交通網の整備や庶民の経済力の向上などを背景に、ほぼ六〇年周期で大規模な集団参詣が記録にある大きなものだけでも三回起こっています。この流行は本州、四国、九州と広がりましたが、浄土真宗の教えが篤い北陸などにはあまり浸透しなかっと言われています。なぜならそれらの多くは現世の願いをかなえてもらいたい、もしくはその願いがかなったことへの感謝の表れだったからでしょう。しかし浄土真宗の報恩感謝の気持ちはこの世での願いをかなえる為のものでも、自らの願いがかなった事へのお礼の意味のものでもありません。阿弥陀仏が私の成仏を願ってくださっていること、そしてその願いが既に成就されていること。それに加えてそのことを私達にお伝えくださった親鸞聖人のご生涯のご苦労に対しての「おかげさま」の気持ちなのです。報恩講ばかりではありません。毎月の常例法座、ご家庭での参拝、お寺の年中行事など日々の生活の中で手を合わせ、頭を垂れて、わたし一人のために願われているご恩に気づき、「おかげさま」と感謝の気持ちを表し、そしてその姿を自らの周りの方々に伝えていくことが浄土真宗によって生かされている私達の人生をあゆむ姿なのではないでしょうか。