浄土真宗本願寺派 興徳山乗善寺

ちょっといい話

法話

月参り

No.608

月参りとは、毎月のご命日のお参りのことで、この習慣は大阪からはじまったと言われております。大阪では自宅で商売されていた方が多く、お寺に行ってお参りが出来なかったのでお寺さんに来てもらってお参りをしていました。

先日、あるご門徒さんから「夫の三回忌が終わったのですが、知り合いから毎月のお参りはそろそろお断りして祥月命日とお盆だけでもいいんじゃないの!と言われて、毎月のお参りはいつまでするものなのか一度お寺さんに聞きたくて」とご相談を受けました。

私たちの浄土真宗では、お経さまは亡き方のためにあげるのではなく、ご命日を機縁に家族そろってお参りをし、「お念仏のみ教え」に遇わせていただくことが何よりも大切なことなので、何回忌までということはありません。私たちはいつどうなるか分からない身ですから、元気でお参りができるうちは続けさせてもらいましょう、とお話しさせていただいています。確かに今までお参りの習慣がなかった方にとって、毎月のお参りとなると、家の掃除からお仏壇のお給仕、その日はお寺さんが来てくれるまで待っていなければならないので負担が大きく、現代の生活スタイルに合わないところもあるかもしれませんが、お仕事の休みの日にずらすとか、都合が悪ければご連絡いただく形でこれからも月参りの習慣を大切にして、後世にもしっかりと伝えてほしいと思います。ちなみに毎月十六日は親鸞聖人のご命日なので、みなさんでお参りいたしましょう。

ある牧師さんが、キリスト教では日曜礼拝といって、日曜日に信徒の方々が教会に来て礼拝されるのですが、仏教ではお寺さんがご命日にお檀家さんのお宅に伺ってお勤めされるというのは檀家さんお一人おひとりのお心に寄り添うことができるのですごくいい習慣で、うらやましいとおっしゃられていました。

西本願寺でも、月参りはご門徒さんとの接点であるとともに見守り活動(かかりつけのお坊さんとしての活動)も含めた取り組みとして推進されています。あるご主人が、「長年連れ添って来られた奥さんをガンで急に亡くされ、まさか妻がこんなに急に逝くとは思ってもいませんでした。私の方が当然先に逝くと思っていましたのでこの先私はどう生きていけばいいのか」と自問自答され、涙を流されていました。その後、毎月のお参りの中でそのご主人から「お寺さんのお話を聞かせていただき、お経さまは亡くなった方のためではなく私のためのものだったのですね。これからはお寺に参って仏さまのお話を聞かせてもらいます」とありがたいお言葉をいただき、本当にうれしく思いました。

私たちの人生はどれだけ生きたかではなく、どう生きたか、何をよりどころとして生きたかが大切です。私たちは若さ、健康、家族、財産、地位、名誉などに執着し、悲しいことにこの世のすべてのものは移り変わり、何一つ当てにならないとわかっていてもあてにせずにはおれません。

そして、すぐに当たり前となって感謝どころか愚痴や不満ばかりしか出てこない私であります。そんな私を阿弥陀さまは見抜かれ、あなたの人生がどんなに苦悩を抱え、悲しみ多い人生であってもこの世のいのちが終わったとき、そのまま必ずさとりの世界のお浄土に生まれさせると約束して下さっています。

私たちはお互いに忙しい日々の中に、月に一度はご命日を機縁に家族そろってお参りし、片時も執着から離れられない私こそが救いの目当てとされた阿弥陀さまのお心に触れ、ともに報恩感謝のお念仏を称えさせていただきたいものです。私自身も含めて問題のない人はいません。様々な問題の中で私自身がまこと(真実)の教えに耳を傾け、お浄土に向かう確かな人生の歩みを確かめる機会を持つことが何よりも大切です。またそれが亡き方の願いなのです。