最近は、断捨離といって不要な物を処分し、物への執着から離れ、所有物にとらわれない生活や人生を送るという方も増えています。
物がない時代からすれば、考えられないほど現代は、物があふれているように思います。いつのまにか物が増え、処分しようと思ってもなかなか手に入れたものは手放すことができません。自分の思い入れの強いものであればなおさらのことです。
家族を持ち、家を構え、仕事をし、様々なものに執着して生きているのが私たちの姿であります。そして、それらにまつわる様々な問題が次から次と起き、いのち尽きるまで私たちの悩みや不安はなくなるものではありません。
現在、日本の僧侶の多くは、家庭を持って生活をしていますが、タイやスリランカなどの南方の仏教国の僧侶は、お釈迦さま在世当時の生活様式を保ち、戒律を守って集団生活をしています。
その僧侶の持ち物といえば、比丘六物(僧侶が常に持つべき六種類の生活必需品のこと)といって、三種類の衣と托鉢に持っていく鉄鉢、座る時に敷く敷物 (地上の植物・虫などから身を護り、三衣や寝具の汚損を防ぐために使うもの)、水を漉す布袋(水を飲む時、水中の虫を殺さないためのもの)の6つだけだそうです。
そう聞くと私たちは、戒律に縛られてさぞかし大変な生活をしないといけないのだろうと思ってしまいますが、あれこれ所有するものがなく、仏道修行の環境が整っていますので、心が楽に過ごせるのだそうです。
在家の私たちには、そのような生活はなかなか難しいですが、蓮如上人は、念仏者の生活について、私たちがいただくすべてのものは「仏法領」といって、阿弥陀さま、親鸞聖人さまのおはたらきによって恵まれたものである。だから目には見えなくても、常にはたらきかけてくださっていることを、よくよく心得ておかなければならない」と、折に触れておっしゃられています。
廊下に落ちている紙一枚も阿弥陀さまからのいただきものと無駄にせずもったいないと拾われたといいます。衣服も自分のものだと思って踏みつけ、粗末にするのは、情ないことですと、何もかも全て仏法領なのですから、着物などが足に触れた時には、うやうやしくおしいただかれたといいます。
家を建てるにしても、頭さえ雨に濡れなければ、後はどのように作ってもよいと何事につけても、度をこえたことをお嫌いになられ、衣服などに至るまでもよいものを着たいと思うのは浅ましいことであり、仏さまのはたらきをありがたく思い、仏法のことだけ心がけるようにしなさいとお仰せになられました。
私たちの身の回りすべてのものは、仏さまからお預かりしているものであり、何一つ粗末にしてはいけないのです。わが身自身も、決して自分のものではありません。
よく浄土真宗は、阿弥陀さまは煩悩を抱えた者をそのまま救ってくださるのだから、何もしなくてもいい、楽でよかったという方がおられます。確かに他宗さまのように厳しい戒律や修行もないので、そう感じられるかもしれません。しかしそれは大きな間違いです。
私たちの生活のすべてが阿弥陀さまのはたらきの中にあるのですから、つねに御恩報謝に努め、仏さまのご縁を大切にし、阿弥陀さまのみ教えを聞き深めさせていただきたいものであります。
どうか皆さん、これからもいのちいただく限り、感謝のお念仏を申させていただき、ご聴聞に励んでまいりましょう。
二〇二五(令和七)年 三月