浄土真宗本願寺派 興徳山乗善寺

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法話

ないものねだり

No.681

本格的な夏を間近にし、今年の夏はのような夏になるのか楽しみでもあり、不安でもあり…。

近年、異常気象の影響で極端な気候になることが多くなってきました。暑くて辛い夏、寒くて寂しい夏、どちらが良いのかわかりませんが、私たちはこのどちらに対しても毎年不満を言っているように思えるのです。皆さまはどうでしょうか?あるものに文句を言い、ないものを羨むことが多くあるでしょう。『ないものねだり』といわれることであります。

『ないものねだり』とは、ないことにたいしての嫉妬心、羨むこと、または駄々をこねることだとされています。私たちは日頃、あるものにはあって当たり前、ないものには執着する気持ちを持ち続けている様な気がします。「隣の芝は青い」とはよく言ったもので、今あることを見過ごしていることでしょう。ないものに執着し、あるものを見過ごす傾向にある私たちですが『ないものねだり』である自身に気付いた時には、また違った物事の考え方が出来るようになるのではないでしょうか。

以前、友人と食事中に話した事柄があります。当日やや体調不良であった私がご飯を辛そうに食べていると、「食べたくても食べられない人もいるんだよ」と友人に大切なことを教えられました。その友人は以前、体調を崩し絶食を余儀なくされた経験がありました。私自身、今ある有り難さを見過ごしての行動であったと反省させられます。しかしながら体調不良であった私はそれ以上食す事も出来ず…という結果になってしまったことがあります。心身の健康状態のある、なしで各々の行動の結果が違っていました。生活する上での環境によってもこのような結果があるのではないでしょうか。例えば、裕福な家庭は貧しい家庭よりも良いと思われがちですが、裕福な中での辛さがあったり、一方で、貧しさの中に大きな幸せを見つけられている方がいる。状況によってもそうでありましょう。世間的に上手くいったと言われている方々にも苦労はあるでしょうし、挫折を味わいながらの人生を送っている人にもたくさんの喜びを感じることがあるでしょう。相対するものの相違点の受け取り方によって、様々な見方ができるのです。

あらためて『ないものねだり』という事を、この時点で考えてみましょう。どうでしょうか?悪い印象が強くある言葉でありますが、そうでもないようにも思えてきませんか?

ないものに執着することによって、あるもの(有り難さ)を見過ごす事ではありますが、あるものに気付く要因にもなってくるのです。

「足るを知る」という言葉があります。『ないものねだり』の対義語とされ“身分相応に満足する事を知る”ということで使われる言葉です。この言葉も『ないものねだり』があるからこそ意味を持つものであると私は考えてしまいます。

日頃、不安定な思いや考え(迷い)を持つ私たち。ないもの、あるものに振り回されながらの生活を送っています。そんな私たちが安定した思いや考え(安心)を持って生きていくにはどうしたら・・・。そこにどんな物事をも相違なく見させてくださる仏法という教えがあるのです。全てを平等と捉える仏法を聴いていくと、物事の良し悪しは自身で判断する事柄ではないと気付かされていくことでしょう。その気付きの中に、今ある有り難い人生に感謝した生活をさせていただく事ができるのではないのでしょうか。

『ないものねだり』、気付かされるためには思っていても良い事柄かもしれませんね。

二〇二四(令和六年)七月