今年四月、聖徳太子の一四〇〇回大遠忌が奈良・法隆寺で勤まりました。
聖徳太子は法隆寺を建立し、『憲法十七条』第二条で「篤く三宝を敬え」と説き、『法華経』『維摩経』『勝鬘経』の註釈『三経義疏』を著し、「世間虚仮、唯仏是真」(世間は虚仮なり、ただ仏のみこれ真なり)という言葉を残すなど、日本の仏教史上における多大な業績が伝えられ、聖徳太子は宗派の枠を超えて尊崇されてきました。
親鸞聖人は九歳の時に比叡山で仏道修行に入られ、約二十年間、修行されましたが、悟りを開くことは出来ず行き詰まりを感じた頃、夢の中で聖徳太子からお告げをいただき、法然聖人の門下となりました。さらに聖徳太子を讃える和讃「皇太子聖徳奉讃」を著され、その中で聖徳太子を「和国の教主」と呼ばれるなど、聖徳太子に対する大きな敬意が窺えます。
仏教の歴史は、現在から約二千六百年ほど前にインドでお釈迦様によって説かれました。その後、中国を経て朝鮮半島を通って、日本に伝えられたのは六世紀頃と言われます。当時の日本は、物部氏と蘇我氏が権力争いをしており、仏教についても、物部氏は排仏派、蘇我氏は崇仏派と、意見が分かれていました。聖徳太子は崇仏派の蘇我氏に味方し、蘇我氏は物部氏との権力争いに打ち勝ち、仏教を中心とした国作りを進めました。
聖徳太子の有名な『十七条憲法』の第二条にこのようにあります。
「篤く三宝を敬え。三宝とは仏・法・僧となり、則ち、四生の終帰、万国の極宗なり。何れの世、何れの人かこの法を貴ばざる。」
三宝とは、この世には三つの宝であります。その宝とは、仏様(仏)であり、仏様の説かれた教え(法)であり、その法を正しく伝える人(僧)のことであり、仏教はすべての人を幸せにする教えなのだと書かれています。
もし聖徳太子がいなければ、聖徳太子が仏教中心の国作りをしようと思わなければ、日本に仏教は伝わらなかったかもしれません。仏教が伝わらなかったら、法然聖人が現れることもなかったでしょうし、法然聖人から仏教を聞かせていただくこともなく、いま、こんな幸せな身になることもなかったと思いをめぐらせた親鸞聖人は、聖徳太子に深い御恩を感じられたのでしょう。
親鸞聖人の正像末和讃にこのようなお言葉があります。
「和国の教主 聖徳皇 広大恩徳 謝しがたし」
聖徳皇とは聖徳太子のことです。和国の教主とは、和国とは日本、教主とは教えの主ということで、仏教を説かれたのはお釈迦様でしたから、仏教の教えの主とはお釈迦様のことです。親鸞聖人は、聖徳太子は和国の教主、つまり「日本のお釈迦様」であると讃えられているのです。聖徳太子の御恩は、広くて大きな御恩であり、その御恩にはどれだけ感謝しても感謝しすぎることはないと、褒め讃えられているのです。
現在、一四〇〇年もの時を経て、聖徳太子の思いが私に至り届いています。約二六〇〇年前、お釈迦様がお説きくださった仏教が多くの高僧たちによって伝えられ、約八五〇年前に親鸞聖人がお生まれになり、その生涯をかけて浄土真宗のみ教えをお伝えくださりました。変わることのない真実のみ教えを私たちが引き継いでいくことが本当の相続ではないかと思います。
令和三年 八月