浄土真宗本願寺派 興徳山乗善寺

ちょっといい話

法話

共命之鳥

No.679

新年度を迎えて一ケ月が過ぎました。新たな環境に入られた方も様々な経験を積み、少し余裕が出来た頃ではないでしょうか。

今年は年明けの元日早々に、北陸地方で能登半島地震による大きな災害が起こりました。その後も各地で同じような地震が頻発し、火山の噴火、大規模な山火事、大雨、大風など自然災害が続いています。被害に遭われた皆さまには心よりお見舞い申し上げます。

当寺に於いても少しでも被災者の扶けになり、被災地復興の手助けになればと義援金を募っております。ご協力いただいた皆さまには深く感謝いたします。

他方、人の為せる悲しむべき行為も行われています。ロシアとウクライナの紛争、イランとイスラエルの対立、国内での同じ民族による対立、周りのたくさんの国々を巻き込んでの地球全体での対立が、一層激しさを増してきています。同じ地球という一つの星の上に暮らしながら、何故このように人は争いを起こすのでしょう。

『仏説阿弥陀経』には、阿弥陀仏の極楽浄土のお荘厳が詳しく解き明かされています。その中に、「彼圀常有 種種奇玅 雑色之鳥 白鵠孔雀 鸚鵡舎利 迦陵頻伽 共命之鳥」(その国にはいつも白鵠、孔雀、鸚鵡、舎利、迦陵頻伽、共命之鳥など、色とりどりの美しい鳥がいる)と説かれています。

諸説ありますが、白鵠は鶴、舎利は九官鳥、迦陵頻伽は鳳凰として描かれていることが多いようです。これらの六鳥はそれぞれ、常に美しい声で、人々に仏を思い起こさせると言われ、白鵠、孔雀はその美しさから視覚的に仏法を伝え、鸚鵡、舎利は人の言葉で聴覚的に仏法を伝え、迦陵頻伽は視覚的にも聴覚的にも優れ、六鳥を象徴している存在と云われています。

共命之鳥は、『雑宝蔵経』などに説かれておりますが、一つの鳥の体に二つの顔を持ち、それぞれカルダ、ウバカルダという名前でありました。一方が目覚めている時、一方は眠っているといいます。ある時、カルダがウバカルダに断りもなく美味しい木の実を食べたことにウバカルダは腹を立て、毒の花を食べてカルダに対して仕返しをしました。しかしその行為は、同じ体を共有しているウバカルダ自身の命をも危うくしてしまうというお話です。

共命之鳥にまつわるお話は、時と場所を同じにしながら、それぞれが自分勝手な思いを主張する結果、ともに害を被ることになってしまうという、私たちの愚かさを戒めているのです。

怒り、腹立ち、嫉み、妬む心が争いを生み出すのです。他を想い、許し、認め合う心には争いは起こりません。世の中において事故や災害など苦難は必ず訪れますが、共命之鳥のように、いつでもどこでも私と共に歩み、共に悲しみ、共に喜んでくれるのが南無阿弥陀仏なのです。

※六鳥は壁画や天井絵に描かれることもあり、代表的には前卓に彫りを施す六鳥彫りが多く見受けられます。当寺の本堂や広間の前卓にも六鳥彫りが施され、又、広間には六鳥の絵も飾っておりますので、お寺にお参りにいらした折には是非ご覧ください。

二〇二四(令和六年)五月