浄土真宗本願寺派 興徳山乗善寺

ちょっといい話

法話

今日が最後

No.691

能登半島地震から一年、東日本大震災から十四年、阪神大震災からは三十年が経過しました。

近年、震災だけではなく、多くの災害、戦争などが世界中で起こっています。その度に多くのいのちが失われ、私たちは悲しみや苦しみを味わい、又、優しさやつながりに気づかされています。

二〇〇一年九月十一日、アメリカで同時多発テロが起こりました。イスラム過激派テロ組織アルカーイダによって行われたアメリカ合衆国に対するテロ攻撃で、一連の攻撃で日本人二十四人を含む約三千人が死亡、約二万五千人以上が負傷したアメリカの歴史上、最悪のテロ事件です。

その際、インターネットを通じてノーマ・コーネット・マレックさんの詩『Tomorrow never comes』が拡散されました。この詩は十歳の時に事故で亡くなった息子を偲んで書かれた詩で、一九八九年に発表されていましたが、アメリカ同時多発テロを受けて、この詩に共感された方がインターネットで拡散したといいます。その後、佐川 睦さんが『最後だとわかっていたなら』と日本語に翻訳をされましたが、その一節に、

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わたしたちは 忘れないようにしたい
若い人にも 年老いた人にも 明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは 今日が最後になるかも知れないことを
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とあります。人は必ず死ななければならない、別れがくることは誰もが分かっています。しかし、わかってはいることであっても、いざ自分や近しい人のこととなると、そのことを見ないようにしたり、隠すようにしたりしてしまいます。そんな私たちであっても、「今日が最後になるかもしれない」と思いながら人と接すれば、見え方も違ってくるでしょうし、こちらの接し方が変われば相手の表情や感情も変わってくることでしょう。「これが最後」と思えば、何気ないことが素晴らしいこととなり、誰にでも優しくなれるのかもしれません。さらに、

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今日あなたの大切な人たちをしっかりと抱きしめよう そして その人を愛していることを
いつでも いつまでも大切な存在だということを そっと伝えよう
「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を伝える時を持とう
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ともあります。いま、この時を最後と受け止めることが大切であり、そこにこそ有り難いいのち、尊いつながりが育まれるのでしょう。
蓮如上人が御文章「白骨の章」の中でこのように仰っています。

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朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり
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朝、元気に出かけていった人が、夜には変わり果てた姿となって帰ってくることもあるのだということです。誰もが今日が最後の日だと思って生活しているかと言えば、決してそうではないでしょう。そんな今日死ぬと思っていなくても、死んでゆくかも知れないのだということです。そして最後には、

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人間のはかなき事は老少不定のさかいなれば 誰の人もはやく後生の一大事を心にかけて
阿弥陀仏を深くたのみまいらせて 念仏申すべきものなり
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と締めくくっています。誰が先に亡くなるかもわからない…。いつ、どこで、どのようなご縁があって亡くなるかもわからない…。しかし、すべての人が必ず直面する大問題なのです。阿弥陀仏は「すべてのいのちを必ず救う」と誓われています。阿弥陀仏のご本願を聴聞して、今生のいのちがいつ終わっても、また仏と成って遇わせていただくいのちとお聴かせいただくのです。

「今日が最後」といただきながら、感謝のお念仏の道を歩ませていただきたいものです。


二〇二五(令和七)年 五月