浄土真宗本願寺派 興徳山乗善寺

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法話

普通という偏見

No.634

私たちは、日常生活において、「普通」という言葉をよく使います。「普通が一番」、「普通はこうだよね」などと特に日本人はいつも普通を意識し、そこからいかに逸脱しないようにと考える傾向が強くあります。

出る杭は打たれるということわざもありますが、これは日本に稲作が伝来したころまで遡るそうです。

当時は集団で稲作するため、周りに合わせないと嫌われてしまうという風潮から広く農民の間に普及したといわれています。そこから今では才能がある人はねたまれることが多いのでつねに謙虚さを忘れないようにという教訓として使われていますが、これをみんな同じでなければいけない、普通こそが正しいことなんだと思い込んでしまうと偏見となってしまいますので注意しなければなりません。

4年前に芥川龍之介賞受賞作で村田沙耶香による「コンビニ人間」という小説が話題になりました。

内容は、大学を卒業しても定職につかず、結婚もせず、十年以上コンビニでアルバイトをし続ける彼女の生き方を通じて、「普通」とは何かを問う作品です。彼女は周りの人から毎回、「結婚はしないの?」、「定職につかないの?」 と全く悪意のない質問をされる度に圧力を感じ疲れてしまったというのです。

私たちは、自分が普通だと思って言ったことが相手を苦しめ、ハラスメントとなってしまうこともあると知っておくことが大切だと思います。私たちの普通は、あいまいで不確かなものであり、国や世代によっても大きく違います。

平成元年にセクシャルハラスメントという言葉が流行語大賞に選ばれ、それから三十二年経った今も、さまざまなハラスメント被害を訴える声が相次いでいます。ハラスメントとは、相手が不快に思う言動のことで、たとえ本人にそのつもりがなくても相手が傷つき、苦痛を感じ、不利益を与えられたと感じた行為はハラスメントに該当するそうです。そしてハラスメントは職場で多く起こるものと思われがちですが、実は家庭の中の方が多いと言われています。そして家庭という閉鎖的な空間では、表面化しづらく深刻化しやすいといいます。しつけのためとか、愛情表現だからということから、行っている側もそれを受けている側もハラスメントの認識がとても薄く、子供に対する虐待や、夫婦間で「ドメスティック・バイオレンス (配偶者からの暴力) 」を長期にわたって受けてしまうケースも少なくありません。私たちは、まずは自分がされて嫌なことは人にしないということと、お互い人として対等であるという意識の中で信頼関係を築くことが大切だと思います。

恥ずかしながら私は、数年前まで娘がミニバスケットを始めたのがきっかけで、自分もバスケット経験者ということから子供たちの指導のお手伝いをさせてもらっていました。はじめは少しでも役に立てたらと思っていたのですが、そのうちにチームを強くしたい、子供たちにうまくなってもらいたいという思いが強すぎてつい厳しくなったこともありました。

お釈迦さまは、悪いと知りながら造る罪よりも悪いと知らないで造る罪のほうが恐ろしいと説かれています。なぜなら悪と知っているのであれば、それを止めようと努力できますが、無自覚であれば、際限なく悪を造ってしまうからです。

私たちは自分中心のものの見方をついしてしまいます。そしてなかなかそれを自覚することができません。だからこそ私たちは仏法をよりどころとして自らの言動を常に振り返ることが大切です。

私たちは多くの方の支えがなければ生きていけない存在です。そのつながりを大切にし、感謝の心を忘れずに、より相手を思いやり、やさしい言葉を掛け合いながらこれからも一日一日を大切に過ごしていきましょう。

そして、もし自分の言動がハラスメントかもしれないと感じたときは素直にごめんなさいと謝れる自分でありたいものです。

令和二年 九月