浄土真宗本願寺派 興徳山乗善寺

ちょっといい話

法話

法名

No.635

法名とは、「仏法に帰依した人の名前」で、主に本願寺で行われる帰敬式(おかみそり)を受けた人に対して、本願寺住職(ご門主)から授与されるものです。つまり、「仏教徒としての自覚を持って生きる」証しの名前であり、生きている間に授かるべき性質のものです。決して亡くなった人の名前ではありません。帰敬式(おかみそり)とは、阿弥陀如来・親鸞聖人の御前で浄土真宗の門徒としての自覚をあらたにし、お念仏申す日暮らしを送ることを誓う、私たちにとって大切な儀式であり、この帰敬式を受式し、仏弟子となった方に本願寺ご住職(ご門主)より法名が授与されます。ただし、生前に帰敬式を受式できなかった場合に限って、ご門主に代わって菩提寺の住職より法名をいただくことができます。帰敬式は基本的には毎日、京都の西本願寺にて執行されますが、周年事業など大きな法要がお勤まりになる際には、地方の別院や一般寺院でも執り行われることもありますので、京都まではなかなか行けないという方はそのようなタイミングで受式されることをお勧めいたします。

「法名に名前の一文字を使いたい」、「菩提寺の住職に付けてもらいたい」など、こちら側で決めた法名を希望の場合(内願)は、二か月前に菩提寺からの申請が必要です。使えない字もあるので、事前にご相談ください。内願されない場合は、当日、ご本山の御影堂の隣にある龍虎殿で手続きすれば帰敬式を受式できます。

よく「法名」と「戒名」を同じように考えておられる方もいらっしゃいますが、浄土真宗では「戒名」という言い方はしません。戒名とは、自力修行をめざし戒律を守ることを誓った(受戒した)人に対して授けられる名前で、仏門に入った証であり、戒律を守る証として与えられるものです。自力修行をしない浄土真宗には戒律はありませんので、法名とは全く異なる性質のものです。戒律があったとしても守ることのできない私たちを必ず救い、浄土へ往生させるという阿弥陀仏からのおはたらきを聴き、すでに救われている安心した生活を送るのが私たち浄土真宗の門徒であります。そのため、法名には「信士・信女・居士・大姉」等の修行生活の形態をあらわす位号はありません。法名は漢字二字で、お釈迦さま(釋尊)の一字をいただいた「釋」の字を上に冠し、「釋○○」となります。親鸞聖人も自らを「愚禿釋親鸞」と名告られ、『末灯鈔』には『この信心の人を釈迦如来は、「わが親しき友なり」とよろこびまします。』とあり、生前に法名をいただき、お釈迦さまと親しき友となって阿弥陀仏の救いを聴かせていただけることは何よりも幸せなことだと仰っています。

また、法名の前に「院号」が授与されることがありますが、「院」とは「垣根をめぐらせた大きな建物」を指す言葉で、もともとは天皇の退位後の住まいの呼び名で、平安時代に嵯峨天皇が譲位し上皇となって出家した後、嵯峨院という寺院に移り住み、上皇が自らを「嵯峨院」と称したことに始まり、その後、各宗派で戒名や法名の上に院号を冠して用いることが一般化していったと云われています。十世紀の終わり頃から、寺院に住む僧侶を院号で呼ぶ風習が起こり、本願寺では、蓮如上人が「信証院」と号されたことに始まるとされています。

現在、浄土真宗本願寺派では、宗門の護持発展に貢献された方、または、宗門もしくは社会に対する功労が顕著であると認められた方に、「○○院」という院号が宗門より授与されます。

院号に関しては、もちろん、必ずいただかなければならないわけではありませんが、院号授与を希望される場合は菩提寺にご相談いただきたいと思います。

法名を亡くなってからの名前だと思ったり、院号を付けて長い法名をつけることが孝行だとか、位が高い、亡き方のためになるなどと考えておられる方もいらっしゃると思いますが、いま、阿弥陀仏に願われていることをお聴かせいただき、必ず救われていく身であることを喜べる「私」がいただく名前が「法名」なのです。できれば生前に帰敬式を受式し、共にお念仏を喜ぶ人生を歩みましょう。


令和二年 十月