浄土真宗本願寺派 興徳山乗善寺

ちょっといい話

法話

2020

遊戯三昧

No.605

私が子供の頃、ちょうどテレビゲームが出始め、学校から帰るとファミコンに夢中になっていたものです。母親から「ゲームで遊んでばかりいないで、宿題したの?」とよく言われていました。

今思うと私を心配して言ってくれていたのに、その時は「うるさいなあ」と母親の言葉を聞こうともしなかった自分でした。そんな私も親になり、宿題もせずにスマホに夢中になっている我が子を見るとつい同じようなことを言っています。子供たちは遊びの天才という言葉があるように、どんなことも遊びにし、いつも遊ぶことに全力です。「仕事は遊びじゃないんだから」と何の違和感もなく言っていますが、どこかで勉強や仕事と遊びを分けて考え、遊びは楽しいことで勉強や仕事は大変なことと思い込んでいるのかもしれません。

もともと日本には休暇をとるという考えがありませんでした。日常生活と祭りの暮らしであったのが明治時代に西洋から休暇という考え方が入ってきたことによって、労働したら休むという生活に変わってしまいました。そんな西洋文化の影響から近年は週休2日制になり、毎年のように祝日が増えています。それはかえってサザエさん症候群(週末の夕方に体調不良や倦怠感を訴える症状)といって、ストレスを抱える人が増える原因にもなっています。

最近の若者はすぐに「かったるい」「つまんねぇ」「そんなの意味ないし」などと言います。その言葉の裏には自分が本当に打ち込めるものを探している姿があるのだと思います。しかしいくら探しても自分の考え方が変わらないかぎり見つけることは難しいでしょう。自分が楽しいことを求めようとするのではなく、いま自分に与えられたことを楽しむという発想に変えるだけで私たちの人生は大きく変わります。

禅語に「遊戯三昧」という言葉があります。日常生活に関わることすべてを遊びのように徹してやろうということです。何かにとらわれることなく、遊ぶことも遊び、働くことも遊び、どんなことも遊びとして受け入れるのです。このように悟った人には遊びと仕事の区別がありません。

「昭和の名僧」と呼ばれ、晩年は臨済宗妙心寺派の管長をされていた山田無文老師は真の「遊戯三昧」の境地を「働くことがそのまま遊びなんです。人のためにすることがそのまま遊びなんです。苦しい目に逢うこともまたそのまま遊びなんです」とおっしゃっています。ー『禅、「あたま」の整理』知的生きかた文庫よりー

私たちの人生は、楽しいことばかりではありません。興味のないことや都合の悪いこともたくさんありますが今、目の前のすべてのことを全力で遊ぶのです。それは決して不真面目でいいと言っているのではありません。それは「今日が最後の日」と生きる姿であり、大変大切なことなのです。

また、仏教においての「遊戯」とは遊ぶが如くに利他に行ずることができる仏さまの境地を表します。

私たちの浄土真宗においても親鸞聖人が著わされた『正信偈』の中に「遊」という表現がでてきます。阿弥陀さまは「遊ぶように」私たち凡夫(煩悩を抱え苦しむ者)を救い、それが楽しみと説かれています。娑婆の縁が尽きてお浄土に生まれて仏になると安らかな世界でのんびり優雅に過ごせるとよく誤解されることが多いのですが、お浄土に生まれたものは仏となり、自由自在に悩み苦しむものを導くはたらきをするのです。そして、それが遊びであり楽しくて仕方がないのです。いま私たちがこうしてお念仏のご縁に遇わせていただけるのは先立たれた方がいつも私のそばにいてくださり、私をお念仏のご縁に導いてお遊びいただき、楽しまれているからなのです。私たちの人生は山あり谷ありですが、阿弥陀さまのお慈悲の中でお導きに感謝し、どんなときも「遊戯三昧」の心持ちでともに往生浄土の道を力強く歩んでまいりましょう。