浄土真宗本願寺派 興徳山乗善寺

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法話

お念珠

No.670

私たち浄土真宗の門徒にとってお念珠は身近な仏具の一つですが、改めて考えてみますとお念珠についてその由来などに深く思いを致したことはないかもしれません。本願寺関係の冊子『ののさま』の説明が大変わかりやすかったので皆さまにもお伝えしたいと思います。

お念珠は仏教よりもさらに古いインドの宗教・ヒンドゥー教にその起源を見ることができます。

ヒンドゥー教で用いられていた法具が東方に伝わり仏教の仏具となり、西方へはキリスト教のロザリオとして伝わったといわれています。ロザリオとしての用いられ方も似ていて、祈りの回数や参詣者などの数を数えるためにも用いられていたようです。

先にヒンドゥー教の法具が東方に伝わり、仏教の仏具となったと述べましたが、すべての仏教に用いられているわけではないようです。仏教はインドで起り、北方と南方の二つの伝わり方をしました。

北方より伝わったものは北伝仏教(大乗仏教)といい、チベット、中国、朝鮮、日本へと伝わったものです。南方より伝わったものは南伝仏教(上座部仏教)と呼ばれスリランカ、タイ、ベトナム、ミャンマーなどに伝わりました。仏具として伝わったのは北伝仏教の国々で、南伝仏教の国々では仏具として用いられることは見受けられません。日本へは六世紀の中頃、仏教の伝来とほぼ同じ時期に伝わったといわれています。当時の仏教は貴族などの限られた階級の人々のためのものであったために、用いられていた材質も金銀、琥珀、真珠、水晶など貴重で高価なものであり、貴族や僧侶しか持つことができませんでした。 鎌倉時代になって庶民の間にも仏教が広まり、材質や形状にも工夫がなされるようになって各宗派それぞれの「念珠」・「数珠」の形が定められ、江戸時代に入ると広く一般の人々にも用いられるようになって私達へと伝えられているのです。

お念珠は数珠とも呼ばれ同じものなのですが、それぞれの言葉のもとになっている事柄が異なっています。お念珠は仏様を念ずるときに用いる仏具ですので「念珠」といいます。対して数珠は念仏の回数や参詣者の数を珠を用いて数えたことにより「珠をかぞえる」すなわち「数珠」と言われました。

浄土真宗ではお念仏は大切なものですが、回数の多少にはこだわらないのでお念仏の回数を数えることはありません。ですから「数珠」ではなく「お念珠」と呼んでいます。

各宗派によっていろいろ決まりがあり、浄土真宗本願寺派(お西)ではいくつかの種類はありますが、厳しい決まりごとはありません。双輪念珠は輪が二重になっていて、僧侶が衣を着て法要・儀式に臨む際に用いられます。一般的にお念珠と呼ばれるものは単輪念珠を指し、材質や大きさ、房の種類によって男性用、女性用があります。(女性用には双輪のものもよく見受けられます)

このほかにも常に身近に身に着けるものとして、小型化された腕輪念珠もよく目にすることができます。

浄土真宗本願寺派ではお念珠を持つときは房を下に垂らして左手で持ちます。合掌する時は両手の親指と人差指の間に掛けて、房を下に垂らし、親指で軽く抑えます。こすり合わせたり音を立てたりするようなことはしません。又、大切な仏具ですので直接床に置くなど、粗末に扱うことがあってはなりません。よく、お念珠の紐が切れると「不吉」とか「縁起が悪い」などという方がおられますが、逆に紐が切れるくらい多くの仏縁を結び、大切にしてきたことの証です。全く気にすることはありません。むしろ喜ばしいことと受け止めるべきです。浄土真宗のお念珠は、阿弥陀様の願いにより、極楽浄土に生まれることが約束された我が身と気づかされた、報恩感謝の思いを表すためのお念珠なのです。

令和五年 八月