浄土真宗本願寺派 興徳山乗善寺

ちょっといい話

法話

戦争放棄

No.703

昨年、日本は戦後八十年を迎えました。浄土真宗本願寺派は、戦前、無批判に国策に従い、仏教の名のもとで戦争に積極的に加担した歴史があります。その反省から、戦後、「平和」に向けたさまざまな取り組みを行ってきました。また、世界でも戦争が起きぬよう、たゆまぬ努力がなされてきたものの、今もなお、多くの戦争や紛争が生じ、「いのち」の尊厳をふみにじる事態が生じています。

二〇二二年三月、ロシア軍の侵攻に対し、浄土真宗本願寺派は「ロシア軍のウクライナ侵攻を非難し、戦争の早期終結を願う決議」を採択しました。

二〇二六年三月には、アメリカとイスラエルによるイランへの攻撃が開始され、中東情勢は緊迫した状況にあります。この動きは、米国内のキリスト教福音派からの「神の計画」「アルマゲドン」といった宗教的な支持を背景にしており、政教分離の原則がある中で、宗教が戦争の論理に組み込まれている側面があるように感じます。

そんな中、日本政府は、長年にわたる武器輸出の制限を緩和し、十数カ国以上への武器輸出を可能にしました。これまで武器輸出の目的を「救難・輸送・警戒・監視・掃海」に限っていた「5類型」の制限を撤廃したことにより、アメリカやイギリスなど、防衛協定を結ぶ十七カ国に殺傷能力のある兵器を輸出できるようになるのです。紛争に関与している国への輸出禁止は維持されるとは言え、政府は「特段の事情」がある場合には例外を認めるとしています。

考え方は様々あると思いますが、今回の改定は、憲法九条の縛りを事実上外す、大きな政策変更であると言えます。日本が武器を提供し、多くの人命を奪う危険があり、さらには、防衛協定を結ぶ十七カ国以外の国にしてみると、日本を敵国とみなす事にも繋がりかねません。

浄土真宗は、国家の戦争遂行に積極的に協力した歴史があります。このことを真摯に受け止め、一九九五年にご門主が戦争責任を表明し、過去の戦争協力を呼びかけた罪責を告白しました。

親鸞聖人は歎異抄のなかで、「さるべき業縁のもよおさば、いかなるふるまいもすべし」と仰りました。「人は条件(縁)さえ整えば、どんな恐ろしいことでもしてしまう存在だ」という人間の弱さを直視されたのです。

戦争は「悪」と戦うために「正義」を掲げて始まります。私たちの心にある「自分は正しく、相手は悪だ」という考えが争いを引き起こすのだということです。しかし、一方が掲げる正義は、他方から見れば悪になります。親鸞聖人は、人が勝手に決めた「正義」がいのちを奪い合うことの虚しさを、自分自身の愚かさとして深く悲しまれました。自分の内なる愚かさを見つめることで、他者を認めていく姿勢こそ平和への第一歩と言えるのです。

戦争は「正義と悪」の戦いではなく、「正義と正義」のぶつかり合いです。親鸞聖人は、自分自身の「正義」がいかに危険なことかを見つめ続けられました。「私も間違える、あなたも間違える」という視点に立つとき、相手を倒すべき敵ではなく、同じ苦悩を抱える「仲間」として見ることができるのかも知れません。世界中の戦争、紛争、そしてごく身近な小さな争いも、お互いを認め合い、許し合うことで、少しでも穏やかな日常が訪れることを念じて止みません。

二〇二六(令和八)年 五月